サッカーというエンタテイメントを愛でる

 昨日の、代表戦所見に寄せて、POGの常連さんでもあるササメユキさんより、大変熱意をかき立てるコメントを頂戴しまして。このブログは競馬・サッカー・ゲームを軸にいろんな話題扱ってますけど、それぞれのカテゴリでは専門的ブログに深さにおいて敵わない分、普段興味ないカテゴリに触れていただける機会にはなるのではないかと思うのですよ(私はそんな使命感に基づいてるワケじゃないですけど、見ていただく方の方で、そういった利用方法はあるかなあ、ということです)。そんなわけで、ササメユキさんのコメントはとても嬉しかったのです。ありがとうございます。主にササメユキさん向け、ということで、競馬好きな人に分かりやすい? 説明を付けつつ。

 勿論、私もサッカー識者ではなく、ただの一ファンに過ぎませんので、一般的に推薦できる観戦方法ではなく、「私の場合」になってしまいますが。あほみたいに長いので、興味ある人だけ読んでください。

 サッカー観戦、というか、サッカーという競技の最大の醍醐味は「意外性」と「有機性」です。

 サッカーは驚きと裏切りのスポーツ。観戦者に予定調和を許さないドラマ性が、このスポーツ唯一無二の魅力ではないかと。勿論、他の競技にも意外性、ドラマ性はあります。ただ、サッカーという競技はその割合が破格に高く、それが面白さに(難解さにも)直結しています。そのドラマ性の高さは、試合を規定する(縛る・止める)ルールが本当に最小限であるということに依ります。つまり、導入期に於いて「ここを見ておけばOK」というレジュメを用意しづらいスポーツなのですね。「意外性」に関しては、説明が難しいので、一旦保留して、「有機性」の方から。というか、有機性を理解し、楽しんだ上にあるのが「意外性」なのです。

 良く、野球好きの人が仰るのは「サッカーは点が入らないので」ということ。ただ、それを言うなら、野球はラグビーやバスケットボールに魅力で劣るということになります。野球の魅力がホームランだけにあるのではないように、サッカーのドラマはゴールにあるのではありません。フィールドのあちこちで、極端に言ってしまうとフィールドの全域で常にドラマが有機的に起こり続けている。(例:ゴール前で、FWがシュートを打とうとしている時に、フィールドの逆側では相手チームのFWが、GKがシュートをセーブして、自分にカウンターのパスを通してきた時のために備え、ポジショニングをしている)バスケットボールと違い、ピッチが広すぎるほどに広いので、人間がスペースを網羅するには限界があり、あちこちに穴・綻びが発生する。味方の穴を繕い、敵の穴を突く。相手の小さな綻びを大きくするために、攪乱する。その辺がサッカーの醍醐味で、得点という「結果」は、その最終成果に過ぎません。時に個人、大概の場合には組織で、その「結果」を導くために大量の伏線を張っていく。そこにドラマが発生します。

 そのドラマを堪能するために、フィールド全体を見ていくのが一番楽しいのですが…TV観戦だと、ボールを中心とした10×10mくらいしか見ることができません。なので、どうしても、一枚の絵画全体ではなく、絵画の中の一部を切り取った・トリミングした画角から絵全体をイメージしなくてはいけません。これは大変な作業です。つまり、TV観戦はサッカーを見始めたばかりの人にはあまりお奨めできないのですよね。

 まず、サッカーをTVで観るのは、サッカーの持つ「有機性」を楽しむことをかなり制限された視野になる、という点をご理解ください。これは、例えば競馬に置き換えると、レーススタートからゴールまで、逃げ馬だけにカメラが向けられたレース中継を想像していただけると良いのではないでしょうか。サッカーをTVで見るということは、差し馬のポジション争いを無視した競馬観戦に等しい物です。ただ、競馬の場合、それだと「何て下手なカメラワークだ!」となりますが、サッカーは、フィールド全体をカメラで抑え続けることは不可能(選手が豆粒のように動く、ゲームウォッチのような絵面になりますし…)。仕方ない部分もあります。

 じゃあ、TVでサッカーを楽しむには? というのは一旦置いておいて、ササメユキさんのコメントにあった、

>最近代表の試合をTVで見るようになりました。驚いたのが試合後の色んな人の感想をネットで見て回ってもこれが同じ試合を見た感想なのかというくらい選手に対する評価が異なっていることです。

 というのは、TVを通じて、絵の一部から全体像を想像しているから起こる齟齬なのです。勿論、各人の好み・見識の差もあることですが。例えば、鈴木啓太という選手が居ます。この選手のストロングポイントは、ボールサイドに寄ってきた選手の動きによって空く、守備の穴を広域に渡って埋めるサポート能力・リスクケア能力。この点に関して、鈴木啓太は欧州トップレベルのMFに何ら劣るものではない資質を示します。しかし、ことボールサイドに限定すると、パス能力は平均以下、足が特別速いでもなく、稲本ほど身体能力に恵まれても居ませんし、シュートは目を覆うほど下手ですw そんな「カメラワークの中に限定した評価」をしていくと、鈴木啓太は代表レベルではない、ミスの多い選手という評価になる。つまり、鈴木啓太を正当に評価するには、「画面の外で起きている事象」に思いを巡らせる必要があり、その為にはサッカーの持つ有機性を理解する必要があります。鈴木啓太を悪く言う人は「TVでしかサッカーを見ない」人、「啓太のサポート能力を理解した上で、攻撃センス・ボールセンスを要求している」人、「単純に嫌いな」人の3者に限定されます。

 鈴木啓太の対極にいるのが21番です。

>日本代表の問題点として両サイドを挙げる人はよく見かけますが,どちらかというと駒野選手に対する風当たりの方が厳しいようです。そこで両選手の比較も含めて”「21番」のここに注意して見ろ!”というポイントを教えて頂けたら観戦の参考になると思います。〜(中略)〜素朴な疑問としてなぜ監督交代を経ても,この両サイドのコンビ(?)は長く続いているのでしょうか。単純な人材不足にしては,新しい人を試してすらいないと聞きます。野球でいえば捕手のような取替えが難しいポジションなのでしょうか。

 21番を私が評価しない点は、ボールを持った際にチャレンジを怠り、そこまでの流れを台無しにする逃げのパスを出すこと、パスにメッセージを込めることが出来ないこと、など。細かい話なのでそれぞれの説明は省きますが、逆に、彼が評価される点を私なりに考えると「いつもTVアングルに入ってる」ことなのではないかと。イコール、彼の運動量。

 まあ、運動というのは頭を使わず闇雲にすればいい物ではない、と私は思うのですが、とにかく攻守に渡り、ボールサイドに良く近づき、ボールに良く絡む。なので、トリミングした、有機性のない世界の中では、素晴らしい運動量、献身性が目立つ。

 ただ、21番が無邪気にボールと戯れている際、彼が本来居るべきサイドラインの後方には大穴が空いており、そこを埋めているセンターバック(代表で言うと中澤とか)やボランチ鈴木啓太や阿部)にそのフォローを丸投げしており、その結果、彼らが本職のポジションで能力を発揮することを阻害しています。

 まあ、サイドバックというポジションは、そういうものだと言ってしまえばそうなのです。それだけのリスクを犯し、サイドを駆け上がることによって、相手にとって計算外の攻撃になるというメリット、更には対面している相手のサイド選手を守備に回らせることで、相手の攻撃力を削ぐ効果もある。問題なのは、21番が、上がっておきながらそのリスクを犯すことを恐れ(戦犯になることを恐れ)、8割方自由にプレーできる時しかボールに責任を持たないことにあります。既に書いた通り、サイドバックが攻撃参加するということは、その分リスキーであり、味方に負担を強いる。それをするからには、「報われた」感がチームになくてはいけないのですが、21番はそこで責任を負うことを恐れ、ひたすら逃げる。試合中、ほとんどの「周囲の献身」が、報われないのですね。だから私は21番を選手としても人としても全く評価できないのです。

 彼を評価してる人たちというのは…うーん、さっき挙げた運動量の部分以外、何を買ってるんでしょうかね? 正直分かりませんw ただ、クラブチームに於ける彼の存在は、代表でのそれよりずっと有用なのも確かです。前居たチームは、攻撃サッカーを標榜して、その影で苦労する人を無視するチームカラーでしたし、今居るガンバ大阪というチームも、圧倒的な攻撃力を武器に、殴り勝つチーム。彼の開ける守備の穴や責任逃避がチームのダメージになりづらい「イケイケドンドン」なチームカラー。なので、クラブレベルで見ていくと、彼も「そこそこ以上のサイドバック」であり「優勝候補筆頭チームの不動のレギュラー」である事実があります。

 駒野。こちらは、僕はまだ結構評価しておりまして。21番との一番の違いは、攻撃リスクを犯した際に戦犯になることを躊躇しないことです。クロスは多少雑ですが、21番よりずっと上手いですし、時折がっかりするバックパスを送りますが、それの頻度も右に比べたらずっと少ない。その分「挑戦した結果、失敗した」ケースが右より目立つんですよね。駒野を、21番より下に見る人というのは、「挑戦してダメだった」のを「挑戦を避けた」ことより悪、としているのではないかと思います。それも一つの見解ですが、私はそうは思いませんので、駒野はまだ評価しています。あと、駒野は右の方が上手かったりします。左右両方こなせる選手なんですよ。右限定で、その本職であんなもんである21番と、左の駒野を比較するのは余りフェアではないかも、と感じる部分もあります。

 で、この両サイドを何故使い続けるのかと言うことについては、もう単純に日本人の有能なサイドバックが少ないのですよね。右だと清水にいる市川、横浜FMの田中隼というあたりの選手は、全てにおいて21番を凌駕している才能の持ち主なのですが、21番よりどこか地味であるというのも事実です。左も能力という意味では今浦和にいる相馬という選手が一番だと思いますが、クラブでレギュラーも満足に取れていない状況。ジーコ時代不動の左だった三都主にしても、守備が全く出来ないので、駒野の方がまだ安全かなあ、という。(これからの選手では小宮山という選手が居るので名前覚えておくと良いかも知れません)

 ただ、ジーコは無邪気に彼らを信用していましたが、オシムは「五輪終わるまでの暫定措置」と捉えている感じもあります。すなわち、五輪代表のサイド選手を合流させるのがオシムの第一希望で、日本は五輪優先なので招集できない。そんな国聞いたことがない。馬鹿馬鹿しい。だったらもう前のままでいいや、みたいな。まあ、想像に過ぎませんが。

 多いに話が飛びましたが、TVでサッカーを観る、楽しむ方法。TVサッカーは先に言った通り、絵全体を見て楽しむことの出来ない、特異な絵画鑑賞方法です。それを逆手に、ぼんやり枠の外を想像しながら、切られた範囲の中で起こる事象を楽しむしかありません。

 第1に、アナウンサーと解説者の声を聞かないことですw アナウンサーの声は、ボールを持っている選手の名前を覚える役には立ちますが、その反面、その選手以外が今、何を意図しているのかというイマジネーションを阻害します。それは、ボール保持者以外の第2・第3の選手の動きから目を逸らすことにもなり、サッカーの醍醐味を多いに削ぎます。解説は、こと代表戦に関しては「頑張れ日本」以上も以下も発言しない生き物ですので、何か騒音のような物だと思ってください。アナウンサーと解説者は、時折、試合に関係なく選手のプロフィールとか、プチ情報を疲労しますので、その辺を楽しむと、選手に愛着がわきやすいのではないかと思います。

 第2に、ボールを持った選手の周りを見ること。先も言いましたが、ボールを持った選手は「逃げ馬」。その選手からパスを受ける相手が「先行馬」です。逃げ馬にまだ足が残っているか(まだボールをキープし続け、先へ進む余力とスペースがあるか)。逃げ馬がそのまま逃げ切る(ゴールまで持っていく)ことはごく稀。ボールを持った選手が、次に何をしようとしているかは、周りの選手がどんな動きをしているかでイメージすることが出来ます。ボールを持った選手の左右に1人ずつ、後ろに1人の味方が居たら、「誰に出すかな?」と想像して、当ててみましょう。最初は推測材料なしに、3択で考えると良いと思います。慣れてきたら、自分が予想した場所へ何故ボールが出なかったかを考えていきましょう。相手のマークが近くにいたから? サイドラインに追いつめられてしまうから? そういった「因果」を、細々と積み重ねていくと、徐々にパスの出し先が事前に分かるようになります。そうすると「ああ、コイツはパス受ける準備できてたしな」とか「こっちにパス出すと、その次のパスが出しやすいよね」とか、2人・3人の関係性がイメージできてきます。

 そうすればしめた物。後は、それを一杯繋いでいけば、全フィールド網羅できますし、逆にTVを見ていても、「こっちにパスを出すってことは、この外に味方が居るよな」とか、想像できるようになり、それが当たった時は監督か神様にでもなった気分ですw そうして、サッカーにずっぽりはまります。野球で言うと「あ、コイツ次のボールをヒット打つわ」みたいな、雰囲気・オーラを感じる瞬間ですね。それを、絶え間なく連続で味わえるんですよ。これは楽しいです。

 そうして、ある程度予測が働くようになると、もう一方の魅力である「意外性」が俄然輝きを増してきます。「え、そんなコトするの!?」「まさか!」という驚き。これは、日本の試合では稀なのですが、海外サッカーにはごまんと詰まっており、「サッカー観るなら海外」という人が多いのは、その辺でしょうね。私自身は、日本サッカーを観ずに海外サッカー通を気取るのは愚かだと思いますが、その気持ちが理解できないわけでもないです。愛着がないと日本サッカーを見続けるのは結構しんどいです。

 第3に、これは面倒ですが、リプレイを中心にサッカーを観ること。その為に、録画した試合を見ることをお奨めします。サッカーは、くどいようですが有機的なスポーツなので、慣れるまでは「次に何が起きそうかの予測」が付きづらいです。その助けになるのが、リプレイ。例えば、シュートを打った、決まった。そうしたら、試合の流れの中で分かるのは、パスを出した人と、ゴールを決めた人の、それぞれの瞬間。リプレイを見ると、シュートを打った人間が、パスを受ける前にどんな準備をしていたか、どうやってシュートを打てる体勢を作ったかが分かります。シュートに限らず「お、今のは?」と思ったプレーがあったら、10秒巻き戻してもう一度観る。それを何度かやるだけで、「第2」に挙げた「周りを見る」助けに、多いになります。

 第4に、その上で個人技を楽しむ。有機性からなるサッカーという競技は、おおよそ「流れ」という文脈があるのですが、それを無理矢理にねじ曲げてしまう、暴力的な個人技がまた魅力であり、「意外性」であります。あの破壊的な瞬間、「正義が悪に負ける」ような背徳感が、またたまらないんですよ。「ヒシアマゾンの追い込み」とでも言いますかw 「えー、そんなトコから届いちゃうのかよ!」というザワザワ感。これまたたまりません。

 ただ、これを第4にしたのは、まずここから入ってしまうと、その麻薬性に酔って、推理小説のプロセスを面倒に感じ、いきなり解決シーンから読み始めるような癖が付いてしまうことがあるからです。人生で最初に触れたサッカーがワールドカップだった場合(私は初めてまともに観たサッカーは90年W杯でした)、そのレベルが基準になってしまい、滅多にサッカーでMAXの興奮を味わえなくなってしまいます。これは、サッカーを長く楽しむ上ではデメリットが大きいことです。私も、お陰でその後のワールドカップはあんまり面白くないですし(86年大会をピークにW杯のレベルが落ちたというのは良く言われることですけど)、Jリーグも高校サッカーみたいに感じてた時期が長くありました。その目を覚まさせてくれたのはレッズのJ2降格とエメルソンの襲来なのですが。まあ、閑話休題

 最後に、90分フルで見た試合のダイジェストや解説を、サッカー番組で観ること。競馬同様、ダイジェスト番組は、内容がほとんど「ゴール前シーンのリプレイ」であり、それを観て「良いレースだったね!」と語ることは不可能です。ただ、実際に観た良いレースの記憶を、更に鮮明に焼き付ける役には立ちます。加えて、代表戦だとゴールシーン以外のプレイの解説も入ります。ここでの解説は、試合中の解説と違い、技術論がメインですので、勉強になるはずです。その内「分かってねえなあこの解説者」と思うかも知れませんが、それはサッカー観戦スキルが上がったことの証明なので、どんどん文句を言いましょうw

 競馬ファンが、調教師気分になるのは難しいですが、サッカーファンが監督気分になるのは簡単。良く言われる話ですが、海外のサッカー好きなんて、自分が代表監督になるのが一番だと全員思ってますよ。日本のサッカーが強くなるには、日本もそうなる必要があるのではないかと思います。サッカーを見る目が肥えること=子供のサッカー環境が向上し、競争もハイレベルになる=底上げになる。

 あと、TV観戦術とはまた別に、サッカーを観る大きな秘訣は「好きな選手を作ること」です。これはどんなスポーツでもそうですけど。競馬なら好きな馬のキャリアを通じて、レース体系や、競走馬の一生を知り得ますよね。同じように、出来れば若手の選手と、ベテラン選手1人ずつに目を付けて、その選手が出る試合は、流れとは別にその選手を追っかけてみましょう。パドックで馬を見る時のように「あ、今日は前の試合より調子良いな」みたいなのが分かると、先ほどの、試合の中でサッカーを楽しむ「横軸」に「縦軸」が繋がります。きっと楽しめると思います。五輪代表や、高校サッカーで選手を物色すると良いんじゃないでしょうか。Jリーグなら最初は外人選手がいいですね。

 最後にサッカーマスコミについて。

>あと,本の影響で私はオシム氏の人物に惹かれているのですが,彼がいつも苛立つ「サッカーマスコミのレベルの低さ」とは具体的にどんなところなのでしょうか(実際のところあの苛立ったコメントもそれなりに面白いのですが)。欧州のマスコミとの対比も含めて指摘していただけると今後のメディアの見方の参考になるので嬉しいです。

 オシムがいらだっているのは、サッカーマスコミと言うより、日本のマスコミ、ひいては日本人の性格的な部分ですね。以前こんなエントリを起こしました。

■オシムの「正しい日本語」講座。

 当時と比べると、少しはインタビュアーも気を遣っています。ただ、オシム以外の相手には未だに同じことやってますけどね。恐らく、サッカーマスコミは「オシム台風」が通り過ぎるまで、首を縮めておこうと決め込んだのでしょう。今は、オシムを起こらせないように、かつ「名言」を引き出せたらラッキーくらいのスタンスですね。私も、オシムはいじめっ子モードに入った時の方がずっと面白いので、最近のインタビューは事故が少なくて残念ですよw

 欧州のマスコミも、正直レベルが高いというわけではないです。ただ、もっと「俺がサッカー詳しい」という自負が強いので、代表監督に対しても「何であんな駄目な采配したの?」という文脈で質問をします。結果、代表監督はその場で逆上したり、論破したりして、半分喧嘩みたいになるので、映像で観ても、新聞記事などで観ても非常に楽しめます。90分の試合を、様々な形で何度も俎上にあげて楽しむのがサッカー好きで、それが出来る環境が多く、マスコミがその材料を大量に提供してくれるのが「欧州レベル」「南米レベル」と言えるでしょうか。対する日本は、TV評論はネット評論以上でも以下でもないですね。「TVで評論家がこんな事言ってた」みたいな議論は余り起きませんし、ほとんど意味も楽しさもないです。その原因は、先日の相撲協会の騒ぎとか見てると何となく分かりますよね〜。その辺も含めたスポーツ文化の差なのでしょうかね。

 オシムはとにかく、日本のサッカー文化を一気に底上げする存在です。オシムの言葉を聞きながらサッカーを観られる時間というのは、とてつもなく貴重であることは間違いありません。この時期にサッカーに興味を持てたのも、何かの巡り合わせだと思うので、ササメユキさんは是非今後もご自身のペースでサッカーを観ながら(サッカーというスポーツは、無理して観るとしんどいです。はまるまでは観たい時だけ観てください)、色々疑問を持ってください。その疑問を楽しみながら解決していってください。

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