いいコト言った!

引用元:Ambient Dependability傍観罪で終身刑

 もし書き手が自分の書いたものを「やばいと思って」削除するようなメンタリティの持ち主である、あるいは、書き手が「やばくなったら(例えばコメ欄が炎上しちゃったりしたら)削除すればいいや」という程度の意識で記事を書いている、ということが読み手に知れれば、これは確実に悪影響があります。なぜなら、書き手が自分の記事を無通告で削除するようなブログ、つまり書き手が自分の書いたことの信頼性を全く担保できないようなブログであるのなら、誰もその主張をまともに受け止めようとはしなくなるでしょうから。換言すれば、記事を削除するということは、とりもなおさずそのブログ(と書き手)の信頼性をも同時に削除することになるのだ、ということです。

 超同意。私は、匿名のカキコミなどでも責任が常に伴うことを主張したいクチなので、ましてや、自らブログなんぞを構えてどんなスタンスなり自分の言葉を定期的に発信している人間であれば尚更。

 言葉というのは、口から発せられた瞬間、その人の元を離れて単独活動を始めるのです。発言者には責任はあってもその言葉の与える影響を自儘に操作したいという欲求を叶える権利はない。Aの発した言葉をBが受け取った瞬間、それはBの所有物にもなる。

 勿論文章も一緒。いや、文という確実に記録に残る手段で自分の意志を示すのであれば、その責任の重さは言葉以上。今ひとつ。言葉は目の前の相手へ発せられるが故、相手の反撃の権利を保証してくれますが、文章はともすれば一方的な攻撃になり、発言者は傷つけた相手を安全な物陰から見ている、最悪、相手を傷つけたことすら知らずに終わってしまう。

 それだけの責任、力が文章にはあるのだと言うことを、ブログをやる人間はプロ・アマ問わずに認識すべきです。これは本当に、人間として最低限のライン。このことが理解できない人はブロガー云々ではなくちょっと実社会で生きていく上で問題ある。

 その上で、今回の話なのですが。文章でモノを食うプロ(食ったことのある元プロ、食っていこうと志すアマチュアも含む)人間が、自らの発言を黙って消去すると言うことは100%許されない。想像と違う反応があった場合、手に余る状況になりそうな場合に許されるのは、「真意を理解してもらえるよう重ねて言及すること」「自分以外の第3者に迷惑が及ぶことを理由に、消したことを説明すること」のどちらかではないでしょうか。その、どちらもせずに、日常会話をまた普通に書いているプロとは呼べない意識の低い人種がどんなに非難されようが、同情の余地は皆無。むしろ私は率先して叩きに回る。

 モノ書く(言う)プロなら、自分の書いた(言った)モノに責任を負う義務があるのと同時に、どんな突っ込みも対応できるように、あり得る反応・反感は予想しておくものです。それをしないのは怠慢以外の何者でも無し。そこまでの努力を費やせないなら、仕事の名前と別名で書けば良いんですよ。その場合でも、物言うアマチュアとしての最低限のモラルは必要になるモノの、プロの責任は回避できる。結局、それをしないのは、またこないだの話になるけど売名行為したいからでしょ。どんな仕事でもプロに必要なのはプライドと羞恥心。それ以前に人に必要なのは想像力とモラル。大事にしましょうねぇ。

 てなわけでプロとして生きてくなら最低限トラバは受けろよ、と。須田鷹雄ほどプロになれとは言わないが。いや、みんなこのくらいモラルとプライドあれば読み手は楽しいんだけどね。私はスダホークは競馬ライターとしてよりお笑い好きとして親近感持ってるんだけど。

 私も反面教師を得て、改めて気を付けたいですよ。もう一つ、人に大事なのは「危機感」ですよね。それは遊びでも言えることだと思うのです〜。

 ああでもキルトクールのひろく〜んさんが仰ってる「自分の書いたことが痛いから消す」ってのは凄く分かりますw いくつになってもたまーに若さがほとばしるんだよなあ〜。ハズカチイ。あと私が誤字をちょこちょこ直すのは許してくださいw 内容は推敲してるけど、脳内で組み立てると誤字って気付かないんだよねえ…。

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