共感しました。

■自分はもうこれ以上は仕事できない、というところから5回くらいは壁を越えられる気がするjkondoの日記

 えと、こちらが元記事。そして私が共感したのは、下の記事。

■www.textfile.orgさんのエントリ

 土曜のこんな時間まで仕事してる私が言っても説得力皆無かも知れませんがw 仕事の頑張りの限界ってのは、やっぱ辿り着かなきゃそれに越したことはないですよ。
 良く「お酒の限界を知ってるか」みたいな話をしますよね。限界まで飲んだことない人はなんならチキンだみたいに言われるわけですが、私は限界まで飲まないお酒飲みを尊敬します。勿論、酒への敬意というような話もありますが(酒飲んで吐く奴は許せない)、自分の限界まで飲まずに済むような処世術(当然酒への耐性)を持ってるからこそ限界へ到達しないわけで。限界を知ってるってコトは限界にたどり着いたことがあるってコトで、言い換えれば、人に迷惑が掛けたことがあるってコトでもあるのです。

 仕事も同じだと思うのです。限界まで働いて倒れる人ってのは、限界まで働かない人よりずっと仕事人としての才能は低い。仕事の才能ってのはイコールスキルや体力ではなく、己を知っていることです。そして限界ってのは身をもって知るものではなく、察するものです。世の中には、職場環境・家庭環境など、様々な要素が重なって、限界まで追いつめられる人が一杯居ます。そうじゃない、自分で仕事の際をコントロールできる環境にいる人が、わざわざ限界まで仕事をするなんて必要はないですよ。結果として、そこでダメにならなかったから武勇伝になりますが、ダメになってたらただの失態です。10・10・10・0の仕事は8・8・8・8には勝てないわけですよ。

 「限界の先を見よう」って思想は、ある種のM思想ですよね。「自分はこの先行ったらどうなるんだろう。壊れるのかも知れない。でも見てみたい」ってのは、やっぱ正常なバランス感覚のある人の思想ではないです。スポーツでも何でも、それによって才能が更に伸びたってのは、繰り返しますが結果論なのです。何かの目的のために他を犠牲にしても構わないと言う立場でのみ正当化される思想だと思います。社会人ってのはそうではありません。そこで潰れていった人たちは誰も褒めてくれません。そして、私はそこを越えて成功した人たちも褒める気にはなれません。限界へ挑戦するリスクを、周りに迷惑をかけない形で犯せる人って、現代社会において存在し得るのでしょうか? 絶対、その挑戦には周囲への迷惑が付随しています。自分だけ良ければ思想が無いとは言えません。美談にしてはいけない話だと思います。少なくとも、「その通りだ」と賛同して良いやり方ではないです。

 自分を追い込む人ってのは、得てして他人も追い込みがちなんですよね。そうなった時、その人の人生・家族に誰が責任を取るのでしょうか。同僚が限界以上に頑張ってる、ってのは、同じ職場の人間にとってもプレッシャーになりますし、場合によってはストレスになります。「俺は人一倍頑張ってる!」って言う人は、会社で浮いた存在になりがちだと思います。

 仕事が出来る人ほど、「限界を感じさせず、澄まし顔で働く」ことが必要だと思います。人一倍働ける人は、人一倍遊んで見せなくてはいけないと思います。能力の高い人が人より仕事すると、その職場はチキンレースになっちゃいます。「あいつは俺より才能あるから俺より遊んでるチキショー」ってのがやっぱ一番正しいスタンスではないかと。昔(20代のうち)はそうは思っていませんでしたが、30過ぎて、そういう考え方になってきました。現代の職場で、常時が部下に一番教えなくてはいけないのは、「サボり方」でしょうねー。

 元記事のエントリ主さん(jkondoさん)が仰ることも分かるんですよ。壁を越えて成長できた瞬間ってのは、計り知れない達成感ですからね。そして、その成長を周りに還元していける自分にも出会えるわけで。でも、「劇的な成功」ってのはやっぱり麻薬なんですよね。同じように自分を追い込むことによって、更なる飛躍をしようというサイクルに入ることは、とても危険だと思います。その先へ進んでいけるのは、ごく一握りの先天的な才能を持つ人間だけで、大多数の人は、1度目の壁を越えた快感を忘れられず、日常の限界に程遠い仕事へのやる気を無くし、やがてより無茶なチャレンジをして潰れて行ってしまうものではないでしょうか。

 ただ、ここで本質的に仰られていることは「限界を超えての超回復的な伸び代への啓蒙」ではなく、「日頃から自分の物理限界の遙か手前に精神限界を作ってしまっていないか」ということですよね。そこを勘違いせずに読みとれば、大変ためになるお話ですし、私も多いに共感するわけです。

「少し疲れているから休みを取って体を休ませます」と言って仕事を休む人を見かけます。体を壊さないように必要なときはゆっくり休んで欲しいと思います。それと同時に、少なくとも1週間安定して仕事に集中できる自分になれるように、日々自分を進化させていく、ということも忘れないで欲しいと思います。

 というのは、まさに至言ですね。

 で。話を戻しまして。id:hyukiさんのエントリで、ここに特に共感しました。

「ああ、あのとき頑張らなくて本当に本当によかった」と思うこともたくさんある。そして、「頑張らなくてよかった」ときの「よかった」度合いは非常に高い。時には命がかかっていたりする。

 そうなんですよ。頑張らなかった「良かった」はずっと財産になりますけど、頑張りすぎた「後悔」はもう取り返しが付かないことが多いんですよね。続けてこその仕事です。「乾坤一擲」ってのは、絞り出さずに墓までもって行ければ、そんな幸せなことはないと思います。「仕事を楽しんで、限界だと感じずに*0年勤め上げました」という方を私は心から尊敬します。きっと、その限界までの余幅分を、自身のホビーや家族への愛情という形で使われているでしょうから。働きすぎない人はカッコイイです。私もそうありたい。

 てなわけで、私ももう寝ますw 明日も仕事だしな〜。

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