専門紙に期待するのは?

■「ホースニュース馬」が休刊netkeiba

 私は専門紙は、自宅投票の時は馬三郎(裏開催の情報が濃いので)、現地観戦時は競馬ブック(あの横の馬柱を見るとライブ感がある。逆にあれがないと何か盛り上がらない)。馬は買ったことがないので、あまり偉そうなことは言えないのですが、寂しくはありますね。
 と、同時に、これだけ数多い専門紙が淘汰されていくのも当然だろうなあ、と思うわけで。ライトな競馬ファンにとっては、情報源はスポーツ紙とネットで事足りるわけですし、ヘビーな競馬ファンは「自分のスタイル」が確立されていて、その中には「この新聞を買う」ってのも固定されている。新規層の獲得は至難な媒体だと思うんですよね。その中で、一番華やかで、情報を読みとりやすいエイトが入り口になるわけで。エイト以外の専門紙はもっと「独自性」を磨かないと、今後どんどん不要になっていくのではないかなあ、と。

 ここで、当エントリを起こすに当たって関心を持ったエントリを。

■「ホースニュース休刊に思う」白線の内がわ
■競馬専門紙に求めるもの傍観罪で終身刑

 「400円の金を惜しんで〜」は納得できる部分もあるけど、まさにその正反対で「400円の金を惜しむ程度の差しかない」と大半のファンが感じているから、と考えた方が良いでしょう。そこに「専門紙を買い支える」という意識を期待するのは絶対に間違ってるし。あと、元記事にある50・60の人ほど、専門紙なんか買わないでスポーツ紙を買ってる気がするんですけど、そんなこと無いですかね?

 WEBを含むデジタル媒体に関してはSouthendさんも仰ってる通り、便利な反面、インターフェイスの限界から来る「至便性の壁」はまだまだ高い。競馬場で携帯をポチポチ押して居る時間というのは、レース感、しかも馬券を買い終わってレースを待つ僅かな時間だけで、メインの情報源にはなりにくい。私はレース後のコメントを参照したり(主に馬場の内外差とかについて言及している部分を)、やはり前走時のコメントを確認したりするのに使っていますが、自宅でTARGETを開きながら馬券を買う時に比べると、かなり不便。JRA−VANでチェック馬を入れて、出走時にTARGETで前走の時にしたメモを確認して…というサイクルが外では難しい。「ネットがあるから新聞買わなくていいや」という状態には、多分向こう10年はならない。

 結局の所、専門紙は先ほど言った独自性の部分も含め、如何に「スポーツ紙の3倍以上の値段を出す価値がある」と思われるか、に存続が掛かると思うんですよね。難しいのは、ライト層が望むモノというのはほとんど共通なのですが、ヘビー層は十人十色のニーズを抱えていて、自分が一番コアに望む部分が叶わないとダメ出しをしてしまう所があり。「専門」という部分が敷居の高さに(読み手・作り手相互に)繋がるとかなり厳しいのではないでしょうか。理想は「ライト層の望むモノを満たした」上で、「ヘビー層の望む多彩な希望が全て満たされる」ことですが、それはほぼ無理なので、「個々は他の新聞には負けない」というフォーカルポイントを設けた上で、ライト層が手に取りやすい工夫をするのがいいのでしょうね。まあ、正直、ブックがカラフルになって100円値上がりしたら私は怒りますがw 

 ブックに何かプラスアルファを望むとしたら、陣営の前走コメントと結果も載せて欲しいと言うこと。代わりに捨てるとしたら「調教欄」と言いたいですが、調教欄が一番重要って人も少なくはないですしね…。あとは馬柱の中身ももう少し工夫の余地はありそうな気がします。同じ位置取り、同じ着順でもレース展開と、その時の馬場状態で全然価値が違いますし。まあ、その辺は「馬柱に予想を入れる」ということになってしまうかも知れませんが。結論としては、Southendさんの仰っている

結局は「人」なんじゃないかなぁと。<馬柱から見えてくるもの>(もちろん調教欄でも血統表でもいいですが)を、ロジカルに、あるいはドラマティックに「読める記事」に仕立てることができる人の重要性というのは、「単なる出馬情報」がチープ化した情報過多の今、相対的に上がっているはずではないか、という気がします。

 という点に尽きると思います。カリスマ性のある記者も含め、世の中に溢れている「競馬ライター」と呼ばれる人が、有名人の売名予想と同じかそれ以上に新聞に載って、かつ、それが読み物としても予想材料としてもクオリティが高ければ、レースの合間も楽しいですし。

 まあ、多くのファンにとっては、「読めるかどうか」より、「その人が当たってるかどうか」の方が大事だと思いますけどね。

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