好きなことやって働くってのはだなー。

■自己選択や天職という幻想雑種路線でいこう

 既にブクマコメントでは触れられていたが、今日ちょうどそういった話をする機会があり、改めて考えさせられたのでエントリにし直す。元記事は非常に興味深い内容なので、是非そちらも読んでいただきたい。
 「理想の仕事を見つける」ってのは大変な綺麗事だ。世の中の大多数の人は生きるために仕事をしているし、その仕事は自分の理想像からはかけ離れている。私は種別としては「趣味の延長線上」にあるような仕事をしているので、良く同窓生などに「好きな仕事やれてお前は幸せだなー」と言われるのだが、そんなことはないのです。「好きな仕事」と「理想の仕事」は全然違います。

 自分の興味あるジャンルで仕事するってことは、そのジャンルのお客さんとしての楽しみを奪われるってことでもあるのですよ。確かに情報は早いし、刺激も多いが、その分部外者だった頃ほど無邪気に同好の士と交流できないし、越えてはいけない一線があちこちにあるし、なにより、好きだからこそやりたい理想と、経済的時間的(時に人脈的実力的)なモノから派生するギャップが本当にしんどい。これが、趣味と共通しないジャンルだったら仕事としての割り切りはしやすいが、そうじゃないからこそ、そこのギャップが半端無いストレスになる。同業者の多くは、そこが原因で趣味としてのカテゴリから消去してしまうか、逆に仕事を辞めてしまうか、という有様。

 仕事してて年下の同業者から良くされる相談が「こんなはずじゃなかったんですよねー」というもの。つまり、夢を抱いて入った職種(業界)、いざ始めてみたら夢の実現はままならず、3年5年と続けていても打開策は見いだせない。精神的に袋小路に入っちゃってるんですね。

 そんなとき、私はどんなアドバイスするかというと、相手の年齢・キャリアによって違うのですが。仕事始めて3年以内の人間には「まだ知った気になるのは早い。自分の未熟さを棚に上げて環境のせいにするな、甘えるな」、3年以上、かつ27歳以下の場合は「しっくり来なかったら今のうちに新しいこと始めた方が良いかもよ」、28歳以上の場合は「今更他の仕事って言ってもどうにもならんし、今の環境で頑張れよ」もしくは「同業他社への移籍を考えたら」…ってな感じです(勿論そのままストレートに言うわけじゃないですが。そういう方向へ誘導するってことです)。

 勿論、その個人によって若干誤差はあるのですが、「やり直し」がきく年齢は27歳まで、というのが私のイメージです。大卒ストレートで働いて5年目。30まであと3年。そこより早いと、まだ見ぬ伸び代があるかも知れないし、そこを越えていると、半端ない努力が再スタートに必要になる。

 大学なり専門学校出て3年ってのは基本的に「見習い期間」と認識してます。社会人が若葉マーク外せるのは4年目から。ちゃんと仕事していれば、その辺でクライアント1個任されたり、部内の小さなプロジェクトを任されたり、いわゆる「責任仕事」が積極的に担えるようになってくるタイミング(これも勿論環境差がある。任されない場合は自分がサボってるか、上司が無能か、そういう会社なのか。いずれにせよ何かしらアクションを起こした方が良い)。それより早いと、余程上の補佐が上手くないと1回の失敗で潰れちゃうこともあるし、これより遅いと「仕事を割り当てられる」意識が強くなりすぎて、判断力が鈍ってしまう。

 で、そういう立場になって自分の仕事が冷静に見渡せるようになるには2年くらい掛かるのではないでしょうかね。その頃には、同じ仕事をやるにしても、独自性が出せてきたり、会社の持っているモノとは別に、個人個別のコネクションが増えてきたりする。そんなタイミングが27歳くらいなわけです。「社会人としての卵の殻が完全に取れる」「助けてくれる人が相応人数出来上がる」「今までやってきた仕事のノウハウが、自分の中に熟成されだして、応用が利かせられるようになる」タイミングなんですね。

 なので、それより早く職種を変えるってのは、余程明確な「今の仕事が不向きな理由」を分析できていて、かつ新しく始める仕事に対し高いモチベーションと、自分に向いている理由を分析できていない限り、今までの何年かがまるで無駄になってしまうことが多い。だから、27歳以下の人に職業相談をされた場合は、もうちょっと頑張れと言うわけです。

 じゃあ、28歳以上は? と言うと、今度は責任とエネルギーの面で余りオススメできないのですよね。5年も同じ職場にいると、必ず上下関係にがっちり組み込まれます。下っ端のうちは抜けても上に迷惑掛かるだけ(勿論横にも掛かるが)で済むけど、部下が居る場合は、自分が辞めることで部下が仕事続けられなくなるかも知れない。社内だけじゃなくても、家族がいたり、恋人が居たりすると、相手に依存して生きなくては(短期的にとはいえ)ならなくなるかも知れない。人に甘えて生きていく、ってのは先天的な才能がある人(結構居る)以外、ある年齢を過ぎるとプライドとかが邪魔して容易じゃなくなってくるんですよね。

 エネルギー面ってのは、学習意欲や、そもそもの効率の部分。やっぱ20代前半と後半が同じモチベーションで学習に取り組んだときの伸び代ってのはえらく違うものです。ましてや30越えると大変。性格も柔軟性を欠いてくるし、上記のようなプライドの問題もめんどくさくなってくる。なかなか、「素直に学習」するってのは難しくなります。

 自分の連れに30過ぎるまでプー同然の暮らしをしながら物書きになる夢を抱いてて、32にして実現しちゃった奴が居ます(これを読んでいるかしら?)。こんなのはレア中のレアケースで、30過ぎてプーならもう一生プーでいた方がある意味「正しい」生き様と言えましょうか。第一、30過ぎてそんなエネルギーがある人間ってのは、同じ事を20の時にも出来てるはずなんですよね。その「さぼってた」、と言うとちょっと厳しすぎるかも知れないけど、まあ、「英気を養ってた」期間がその後に活きることってのは、やっぱ稀ですよね。活きる以上に、何かに付け首をもたげてくる「さぼり癖」によるマイナスの方が大きいもの。それが自覚できて律することの出来るような奴は30までそんな生活送ることもないし。そこの危機感は忘れずに頑張って欲しいモノだと思いますよ。せっかく掴んだチャンスだし。

 話を戻して…。元記事にも絡めると、「天職」なんてものは、見つけるのではなく作るものです。そして「ああ、これが天職だったなあ」とか「天職とは巡りあわなかったなあ」なんてのは、隠居してからやれば宜しい。たいていの人には、今居る場所が天職ですし、現在そうじゃなくても、これからそうなる可能性は高い。矛盾しているようですが、積極的に「これが天職」と思えるような人しか、天職には出会わないのではないでしょうか。一生、天職を探し続けるのも結構ですが、親や恋人、友達のことも考えましょうね。

 「天職を見つける」ってことは「仕事に誇りを持つ」って事かも知れないですね。「俺はこの仕事にプライドを持って臨んでいる」と言える人は、天職を見つけた人なのかも知れません。プライドのある人は仕事の愚痴も言いませんしね。逆に言うと愚痴ってる人には良い仕事は来ませんし、できません。やっぱり愚痴は麻薬なのです。愚痴を言う、有能な人というのは私の人生で出会ったこと無いですね。有能だから、恵まれてるから愚痴る必要がないと言えばそれまでですが、愚痴を言わないその人の人格が良い仕事を招き入れているのも確かでしょう。

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