日本人とサッカーの有り様。

クロアチア戦から数日。あちこちで出ている世評を聞き・読むに連れ、日本人のサッカー知識の低さに暗澹たる想いをしている。

ひとつの例として、日刊スポーツの読者採点を挙げよう。
http://germany2006.nikkansports.com/vv/result/20060617.html

これを見て、違和感を感じる人は少ないのだろうな。特にアレの評価。
誤解を避けるためにきっぱり言うが、私は浦和サポーターだがアレは好きではない。浦和が常勝になるにはアレのムラっけがネックになるし、良い時のフォームに対する幻想が冷静な判断を妨げると思うからだ。

それでもクロアチア戦のアレは川口と並んでMVPに値する働きだった。理由は簡単。存在のマイナスを、プラスが上回ったからだ。

アレに対する非難は「クロスを上げさせすぎる」「守備に戻らない」「守備力が致命的に低い」全て正論である。だが、それのみを評価基準にすると言うことは、つまり日本の、あの試合で目指していたモノが「0−0のドロー、なりふり構わず完封すること」にあったということだ。そういう基準であの試合を評価している人間が大多数だということだ。アレ同様、そしてジーコ同様「守備のリスクを負ってでも得点機を作り出すアレが勝ちに必要」という考えが存在しないのだろう。日本の理想の成績は3戦3引き分けなのだろう。オーストラリア戦で日本の得点が入ったトイ絶望したのだろう。追いつかれた時快哉を叫んだのだろう。でなければ筋が通らない。必ずそうな筈だ。

そんな国民が応援する代表が点を取れるはずがない。みんなの非難する駄目なFWは日本人なのだから、そんなレベルのサッカー眼を持っている民族が「同朋叩き」をするのは愚か極まりない自傷行為だ。

アレのプラス面。言うまでもなく、あの試合でもっとも攻撃的に出たことだろう。半ば自棄気味に(FWや右サイドの木偶を無視して)ミドルを放ち続けた中田、どんなリスクを負ってもここで得点を上げ、勝ち点3を取らないと大会が終わることを肌身で感じていたアレ。この2人に共通するのは「ブラジルに勝てるはずがない、この試合がラストチャンス」ということ。他の選手は…きっとクロアチアから勝ち点1を取れば御の字、次のブラジルに勝てる、もしくはどうせ最後負けるんだから勝ち点3じゃ無理、なら0になるリスクは捨てて1点持って帰ろう、そういう姿勢だったに違いない。あと、川口も当然勝とうとしていた。後半、彼がボールを抑え、前線へ最速で送ろうと試み、視界に入る光景…皆守ったことで安心して何のアクションもない…をみて、切れかけ、ギリギリ冷静になって、無難なフィードをする。そんな嘆かわしいシーンを再三目撃した。

繰り返すが、アレを非難する日本サポーターは、あの試合に「負けたくなかった」のだろう。アレを激励するサポーターはあの試合に「勝ちたかった」。この差は絶大で、日本人の大多数意見は前者だと言うことだ。最初からワールドカップで勝ちたいと思っていない民族。それが日本人なのだろう。ドローを目標に声を嗄らせて応援し居ていたのだ。なら、アレはまさにA級戦犯だろう。「勝ち、ないし負け」という勝負をしてしまったのだから、サポーター達の気も知らずに。空気を読まなかったから。

私も、クロアチア戦直後は柳沢に絶望したし、怒りを感じた。しかし数日の世論を見て、「柳沢こそ日本人にもっとも相応しいFWだ」と思うようになった。柳沢はもっとも日本人らしい優れたFWだ。まさに世論を代表するスターだ。柳沢は最終戦もピッチに立ち、自傷行為が大好きな日本人のスケープゴートになると良い。私はそれを冷たく眺めるのみ。右に「存在」し、「リスクを負わない」プレーを貫いた加地>アレという負け組の思想を抱くサポーターという人種と、心の乖離を改めて味わいつつ、今後も密やかに冷ややかに応援し続けるのみ。連中と同じ空間に存在したくないので、金輪際代表戦はスタジアムで見ないし、カフェのような所へも行かない。これ以上日本人にうんざりしたくないし。私も腐っても日本人だし。不幸にも物の見方が違うだけで。きっと私が間違っているのだろう。レベルの上下は関係なく、私が「水準」を理解できない愚か者なのだろう。どうして日本に生まれて、私はこうなのか? 一緒にアレを非難できるくらい「無知」ならもっとサッカーが「楽しい」だろうに。私にとってサッカーは時々、往々辛い。何故日本人なのにサッカーが好きになったんだろう? 苦しい。

ブラジル戦は、今までより暖かい気持ちで応援できそうです。

けどね、ホント最後に言わせて。柳沢とアレを同様に非難するアナタ。最低です。己を知りましょう。

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