カズー論・補足

挑戦!競馬革命 (宝島社新書 258)

挑戦!競馬革命 (宝島社新書 258)

 角居センセの著書を読んで、前回のカズー論に書き足しておきたいことが出来たので少々。興味ある方は前回の内容、及び元となったAITOさんのエントリをご一読いただいた上でどうぞ。
 前回の内容もですが、以下に印すことは「私の目にした事実」ではなく「私が愛馬を通じて感じた手応え」に基づくモノであり、ある種の予断に属する事柄です。恐らく、多くの一般競馬ファン、特に一口経験…それも藤沢厩舎に所属する馬に出資した経験のない方にはピンと来ない内容であろうと思います。それを否定はしませんし、押しつけることもしたくはありません。ただ「私はこう感じてしまってるのだから仕方ない」という事象であり、そのつもりで見て欲しいと思います。

 さて。今回の本の中に藤沢厩舎の調教に触れて

 同じ「普通」でも、未勝利馬とオープン馬では中身がまったく違うのです。

 とありました。これを読むと行間には「なので、オープン馬と未勝利馬に同じ調教をしてはいけない」となりそうなモノですか、カズーは逆です。オープン馬と未勝利馬に同じ負荷を掛け、そこでごまんいる所属馬をふるいに掛けていくのです。「未出走・未勝利の時からエリート教育を施す」と言えば聞こえは宜しい。実質は、潰れるべき馬は潰れていけ、という究極のスパルタですね。裏・馬優先主義です。潰れて空いた馬房(×3)には所属を希望する、これまたごまんという数の良血・名血新馬が居るわけで。そうやって現在の藤沢厩舎の勝ち星は「表面上」全盛期と互角に保たれています(加えて、外様の騎手を借りることに依る「数字上の辻褄合わせ」で)。

 このやり方は、優秀な調教助手や所属騎手が居て初めて許されるモノだったと思うんですよね。多くの有能な助手が独立し、屋台骨であった岡部騎手も去り、今は、以前であれば負荷に耐えきれなくなり「信号」を発していた馬に気付けなくなっている気がしてなりません。そうした歪みは、一般の競馬ファンからは非常に見えづらい、厩舎の下層部分、つまり権力を持たない(馬主からのプレッシャーの希薄な)クラブ馬に出てきています。

 あとは育成・放牧先の質の低さ。厩舎では「能力があり打たれ強い馬が自然発生的に出てくるのを待つ」やり方の一点張りですので、本来、それらに緩急を付けるべきは育成場や放牧場でなければ行けません。しかしここが完全に「カズーの下僕」状態。雇用関係としては別に良いんですけど、そうではなく、目の届かないところで独自の工夫を行うことが全く許されていないのでは? と言う空気を感じます。カズーという人は「俺は世界一馬が見られる」という自負があるのでしょうね。タイキシャトル関連の本を読んでいても、なんか牧場がおっかなびっくり顔色を窺っているように感じられました。それでも当時は「それに見合うフットワークと自信、それを支える厩舎のシステム」が存在したので良かったのですが、厩舎システムが事実上崩壊した現在でも、牧場は同じやり方、下手をしたらより卑屈になっています。その結果、牧場は「何もしないこと」を最善とし、出来ることと言えば、本来の仕事である厩舎での歪み・ストレスを矯正することではなく、「どんな色も勝手に付けないようにすること」にプライオリティを置いた、「ただただ緩めること」に終始している気がします。

 今でも、藤沢和雄という人間の「理想」は全く間違っていないと思います。近代競馬に於ける、最も革命的な調教師の一人であり、かつての成功者であり、世界水準への最短距離に居る人間でしょう。

 ただ、悲しいかな、厩舎の時代が去った、ないし転換期にあることを自覚できていない、ないし認めないように蓋をしているように思えてなりません。先ほども言いましたように、その歪みは一般の方から見えやすい所では「大舞台との無縁さ=下級条件での星勘定」に、見えにくい所では「数多くのクラブの馬を使い捨て、クラブそのものをも浮沈させている」に出ているのでしょう。もっとも、「クラブの浮沈〜」に関してはクラブが被害者面をすることではなく、その時勢を見抜けず、かつ意見も言えないのが100%悪いんですけど(同じことが我々会員にも言えますね)。

 時世はもの凄い速度で変わります。藤沢時代は終わったと私は思ってますし、森厩舎も、長いトンネルであえいでいます。角居厩舎だってどこまで今の調子で行けるかは分かりません。今後、助手の独立などを機に激変する可能性はあると思います。かつての藤沢・森厩舎に強く感じ、今は感じられなくなっている「厩舎力=チーム力」。角居厩舎に今、それを強く感じます。それだけに、チーム力が損なわれることもあるのかも知れないと考えてしまいます。

 それでも角居先生は平気かな、と思うのは、師匠であるマツクニさん譲りの政治力(人間性を含めた、厩舎周辺の空気作りのうまさ)で有り、何と言っても「人と違うことをやりたい」という意欲、頑固さ、柔軟さが不思議に共存している人格に有ります。藤沢・森両氏に共通して感じる「変人性」は感じません。むしろ極めて常識人というか、競馬サークルの人らしくない。マツクニさんもそうですけどね。厩舎のボスに求められる能力は、一般企業の社長のそれとは違うと常々思っておりましたが、マツクニ・角居の両氏は一般企業でも全然社長やっていけそうですもんね。

 毎年、大当たりとは限りませんが、コンスタントに今後も大物を出すでしょうね。それは、何となくですが、今年のラインナップのような「超豪華馬」の中からではなく、やや変化球、それこそ数年前のキャロットであり、谷水オーナーの自家生産馬であり、そんな所からこんこんと名馬の系譜の泉が湧き続けそうな気がします。だから、この厩舎に、常に1頭は一口馬を送り込みたいんですよね。一口をやることによって得られる、一般競馬ファンではなかなか感じることの出来ない、ビビッドな、ライブな情報(時折フィルターに掛かって変節しますが、それを読むのもまた楽しいのですw)というのも得続けたいですし。なんだかんだでジュメイラビーチ06で3頭目(連れが出資してるムーンクレイドル入れると4頭目)。当たりだろう、そろそろw

 まあ、一杯脱線しましたが、角居先生の本は、安いですし、競馬ファンなら読んでおいて損はないと思いますよ、と。あんま全部書くとネタバレでつまらんのでやめますが、ディクシージャズとデルタブルースの話とか良い感じでした。

当ブログの一口馬主関連記事の一部はキャロットクラブさまより許可をいただき転載しております。記事の再引用、転載はご遠慮願います。