オシムの「正しい日本語」講座。

早速オシムが代表監督の立場を利して日本人、特にマスコミの教育を開始している。

日本のマスコミはインタビュー対象に常に甘え、予定している記事を書くための「尋問」を行う。99%その技術しか必要ないので、ディスカッション能力が限りなくゼロに近い。例えばこうだ。

記者「(キリンチャレンジカップ試合後)16日はいよいよ公式戦のイエメン戦ですが…」「(13日の練習後)代表招集当日の練習は異例ですが…」
この「……」には限りなく灰色の、ありとあらゆる要素が含まれている。そこを文脈、相手の表情から要求を読みとり、相手の望む「パス」を返してやるのが、日本流のインタビュー。いや、インタビューと称しているだけの舞台劇(とびっきり稚拙な)に過ぎないし、情報として何の価値もないやりとり。

それは、マスコミが馬鹿と言うより、視聴者の問題なのである。視聴者は常に、スポーツ選手が爽やかな言葉を吐くのが聞きたい。だからマスコミはそういう答えを返すように「圧力を掛け」、選手は「予定稿を返す」。そのやりとりからは何の収穫も得られることはない。そこにあるのはなれ合い。マスコミと視聴者の。

時に、まともな知性(羞恥心とプライド)のある選手が、予定稿に沿わないと「反抗的」「マスコミ嫌い」の烙印を押す。つまりマスコミは技術がゼロなので、自分にスキルを要求する選手が大嫌い。同時にマスコミの連中は自分をインテリだと鼻に掛けているので、「この学のない小僧が」と年功序列社会らしい、更に日本人らしい成功者への嫉妬を全開に、それまで媚びていた自分への羞恥も手伝ってその選手をたたき出す。結果、マスコミという低劣な人種に高いモノ(と言うかプロとしての最低限の仕事)を要求していた選手は愛想を尽かし、本物のマスコミ嫌いになる。こんなケースは山ほどある。

今回、ポイントなのは、オシムがマスコミより「日本的な、国際的に幼稚極まりない価値観」においても遙か上にいる成功者であり、年輩者であるというところがポイントである。オシムに対してはマスコミ得意の逆切れは通用せず、ただ「勉強していない人間の恥ずかしさ」だけが残る。

上の質問に対する、オシムの答えはこうである。

オシム「私にとって公式戦も親善試合も関係ない」「異例とは? 招集当日に練習してはいけないと決まっていない」

このやりとりをどう思いますか? 忘れてはいけないのは、今、オシムがマスコミをいじめているように見えるかも知れないこの会話、それは詰まるところ視聴者のレベル、あなた自身のレベルを問うているのだということ。自身の耳、目をレベルアップさせるには、今日本で当たり前のように行われている「依存」の文化(日本人の美徳である「慎み」が時間を経て自らの責任を回避するための「逃げ」として「踏み込まない性質」に変じた、全世界的に稀に見る悪癖)を「本当に正しいのか」「これは正しい表現なのか」「自分は相手に甘えていないか」と、考え直し、戒め直し、変えてみること。つまりそういうことだ。オシムはこう言っている。

「日本人が日本の伝統にあぐらをかくのではなく、正しくその上に座し直し、台座を整え、自分に責任を持て。他人に寄りかかって『日本人っぽい』存在になるな」と。「相手にくみ取って貰うこと前提に自らの表現に対する努力を放棄するな」と。「日本人の短所は全て長所に転化し得る。同時に武器は全て欠陥に転化し得る。その為に必要なことはその長短、武器欠陥を知ることだ」と。つまり「日本人とは何かと言うことをもっと考えろ」と。

私の思う日本人の美徳は「見てなくても手を抜かない」(外人は絶対さぼる。100%さぼる)ことと「成功へ向けての努力を積み上げるセンス」(外人は餌を吊さないと絶対努力しない。100%しない)こと。欠陥は「自分を表現することを怠り、相手がくみ取らないと相手のことにする」こと(外人だとディスコミュニケーションは発信側の能力不足になることが多い。100%…じゃないけど99%なる)。この欠陥は深刻だ。全ては想像力の欠如に起因するのだが。その話は長くなるし関係ないのでまたそのうち酒でも飲みながらw まあとにかく現代日本人はこの欠陥が昔の日本人に比べて大きく膨らんでいて、かつ美徳が消えつつある。つまり価値のない国民になりつつある。これは深刻。外人は日本人を、美徳で見てくるので、実際つきあうと欠陥の大きさに愕然とする。外人相手だけなら、まあ国内に引きこもっていれば8割方支障ないけど、日本人同士でもそろそろボーダーラインを下回るところまで深刻化してきている気がする。特に20代30代は深刻に思える(10代以下や40代以上はまだしっかりしているように思う)。私は深刻世代のど真ん中なので、接する相手は99%この世代で、もう大変だ。

良くあるやりとり。「明日、この書類が必要なんですけど…」「うん、用意しておくよ」これはとても日常的なやりとりですね。ですが私は「うん、で?」と必ず聞く。そうすると相手は怯むか、むっとする。それにより関係性は少し悪くなるかも知れないが、そこで「必要なので、作ってもらえますか?」と言えない人間は結局会社の足かせになると考える。長期的に見ればそこで「作ってもらえますか?」を言えるようになるまでそいつを鍛えた方が絶対メリットになる。

私は極端かも知れないし、日本社会では「迷惑な人間」かも知れない。それでもそこで妥協しないことで、多くの妥協している人たちと明白な差を生み出せることを知っている(その差は、妥協している人たちが10の努力で得られるモノより簡単に、それこそ1以下の力で得られるのだ)から、今後も妥協しない。少しでも、せめて周りの人間だけでも、普段自分たちのやっているコミュニケーションが如何に周囲に甘えきっているかを知って欲しいと思っている。逆にだからこそ、そういった「教育」を必要としない人間と出会うと、とことん嬉しいし、信頼する。まだその比率は99:1くらいだけど。無論1が満足だ。つまり99回は相手にストレスを与えてるわけで。やな人間だね俺w

ホントにね、2年後4年後に少しでもマスコミのレベルが上がれば、それは日本という国のレベルが上がったと言うこと。オシムはサッカーを超えて日本文化の救世主になるでしょう。中田も少しは報われるだろうし、私も日常生活で感じるストレスが減るかも知れない。色々楽しみだ。

当ブログの一口馬主関連記事の一部はキャロットクラブさまより許可をいただき転載しております。記事の再引用、転載はご遠慮願います。