エジプト写真その2

 エジプト写真発掘アップ第2回。相変わらず雑記は読み物から得た知識&主観混じりなので、話半分に読んでください。毎回繰り返しますが、エジプト額の定説はあやふやな物が多く、私が教科書で学んだ内容と現在の常識は既に大きく違いますし、10年後には全部ひっくり返ってるかも知れませんので。

 ツタンカーメン墓の見取り図。このお墓はファラオの物としては大変小さく、少年期で亡くなった王とはいえ相応しくはない物で、別用途で作っていた墓に急遽入れられたのでは、と言われています。

 このお墓は、上に別の王墓の作業小屋が建っており、そのため盗掘に遭わなかったそうです。世界史上に残る奇跡のような大発見は、カイロ博物館で見ることが出来ますが、私が思うのは「ツタンカーメンクラスの王であの中身なら、他の大物の遺品ってどれだけ凄かったんだろう」ということ。この発見によって、エジプト史上一番有名な王の一人(あとはクレオパトラクフ王、ラムセス2世、トトメス3世あたり?)になっているツタンカーメンですが、存在的には歴代ファラオの中でも最小最弱クラス。他の王墓は、遙か古代から何度も盗掘され、膨大な遺品は世界中のどこかに散らばり、恐らく大半は原形も留めていないでしょう。イメージCGとかでも良いから見てみたいものです。

 ツタンカーメンのミイラは、(博物館ではなく)今もこの墓の中で眠っています。墓を発見したハワード・カーターが「研究の役目を終えた王のミイラはあるべき場所で眠らせてあげたい」と言ったそうです。エジプト人・エジプト研究者はロマンチックで大好きです。

 ツタンカーメン墓の入り口とワタクシ。レッズ魂〜(何か違う)。

 あと、ツタンカーメンの英語表記は結構まちまちなのですが、それはヒエログリフ表音文字であり、かつ母音を表記しない文字だからだそうで。ギリシャ風の読み方や現地の読み方など、色々混じっています(例:イクナトン王=アクエンアテン王、アメンホテプ3世=アメノフィス3世)。古代エジプトを紹介する文献がギリシャ系の物が多いので(ヘロドトスとか〜)、むしろそっちの方が主流だったりするんですよね。

 日本の教育現場でも、ある時期から現地読みを採用して、丁度受験期にぶつかった私達は大変迷惑でした。どっちが正しいとか、どっちでも正解にしますよ、じゃなくて、暗記した内容が目にする文献と違う、ってのは大変混乱します。大好きだった世界史が「受験のための詰め込み」になっちゃったのはとても残念でした。余談。

 アブシンベル大神殿内の美しい壁画。行った当時は、余り意味も分からずうっとりしていたのですが、その後結構勉強して、内容にも少しは知識が及ぶようになってきたので、今だったら見るのに丸一日掛かるでしょう。

 自由に見て回るのには大変お金がかかります(パックツアーは本当に安い。その分、感慨も何もなく見ては次〜、見ては次〜という流しそうめんのような作業になりますけど)。次行く時はもっと〜。

 カルナック大神殿の柱。古代エジプトでは「過去の王の制作物の再利用」が横行しており(特に後半〜終盤の方々による)、前の王の名を削って、上に書いたりしています。顔の違いや制作手法、構造などで後生ばれてみっともないったらありゃしないのですが。

 中には再利用されないよう、思いっきり深く彫ってる人もいて、なんだか微笑ましく感じます。


 今回は以上。また次がありましたら〜。

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