そうなんだよなあ

■“甘い”以前の問題だったようで傍観罪で終身刑

 今回の件に限らず「組織が腐る」時というのは、大概にしてその腐敗の中心に近い人間を取り除くことで「責任取らせた」「これで悪は滅んだ」で終わることが多いのですが、実際本格的な改革の妨げとなるのは、「腐敗の輪の中にいながらまっとうな人」の存在だったりするんですよね。ほとんどの芽が腐ってしまって、枝ごと間引かないと幹も致命的なダメージを受ける、それが時間との勝負である場合、その芽の存在こそがガンであるという言い方も出来るわけです。そして本当の意味で木をダメにするのは「でもまだ元気な芽もあるのに」という意見の持ち主の存在であるとも。その点に関しては廃止反対論者には決して理解できない(恐らく私ような言い分は冷血・無神経すぎると感じる)でしょうが。でも私のような人間はそこを理解されず、「悪を滅ぼした」と快哉を上げている方を見ると失笑してしまうんですな、タチ悪いことに。

 まあそれはおいといて。Southendさんほど理路整然と今の地方の状況を感情論抜きで分析できている個人ブロガーは、私が知りうる限り他にいないわけで(Shining Bladeさんはどちらかというと関係者に近い感覚でいらっしゃいますし)、改めて氏に尊敬の念を抱きました。私に尊敬されても一文の足しにもならないでしょうが。同時に、私は意見・スタンス的には完全にSouthendさんに近いですが、ここまで掘り下げて「感情的反対論の矛盾」をほぐしていく能力、正確にはそれを行う労力対効果を見出す感覚に欠けておりますので、「衆論」の反対側に自分の意見が来た時、今回のように繰り返し言及してもろくなことが無いなあ、と悟りました。今後は今回の件はSouthendさんにぶら下がって観覧し、Southendさんの意見に反対するチャンスがあったらしたいと思います(タチ悪ィ…)。

 浦和の改革を一サポーターとして経験した私としては、今の地方競馬の置かれている状況はプロ化3〜5年くらいの浦和に似ています。私は当時の浦和に絶望しつつも、愛情は途切れさせることが出来ず、その後も一喜九十九憂のような心情を経て、犬飼時代に遂に全ての苦労が報われたわけで。地方競馬ファンはまだまだ甘いと感じます。当時の浦和サポーターは、三菱本社に火を付けかねないくらいの勢いでしたよ。それが良いこととは言いませんけど。

 「何時までもあると思うな地方競馬」という感覚が、実は反対している方ほど分かっていないのではないでしょうか? 私は数年前、うつのみや競馬に行った時「こんな経営が何で成り立つんだ」と感じましたし。エンタテイメントとしてはJRAより余程正しい感覚で運営されている大井ですら、ずっと無事でいられると思ったことは一度もありません。だからこそ、大井が今回様々な慣例・しがらみ・感情を切り捨てて「独善的に」「外国馬の導入」を決めたことには驚きましたし。大井は凄いなあ、と。やっぱり日本の競馬はJRAと、大井だけになるかも知れません。少なくとも、競争力という意味では。でもそれが健全なんじゃないでしょうか。「岩手から中央G1を」みたいなことを掲げるのがそもそもやっぱどこかずれてるんですよね。

 平日2・3千人の来場者で経営が成立する地方競馬。それが一番幸せな姿だと思いますよ。そういうところから10年に1頭出てくるオグリキャップだからこそ、あれだけ血が騒ぎますし。やっぱり岩手というバベルの塔は綺麗になくなるべきだと思います。これは私の変わりない意見です。オーロパークの有効活用方法だけでもその前に見つけだして欲しいですけどね。こないだ言った「岩手ドーヴィル化」というのは町おこし的観点を含めつつ、地方競馬という形を無視してやる価値があることだと思う。競馬という産業が今後50年とか100年続いていくべきであるなら尚更。

 まあともあれ、この一連のエントリは今回でラストとします。私如きがデリケートな問題に触れて騒いで、失礼しました。てかこkまでしっかりした論議が交わされてるところに入っていこうとしても「雛壇の寺門ジモンないし庄司智春」的な動きしか出来ず、しんどいですw

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