ジャイキリという言葉を

日本人(特に一部のメディア風ゴシップ)は安く使いすぎだと思うんだよな。弱者が強者を倒すのが全てジャイキリ?ある意味正しいのかも知れないけど、そこにもう少し条件を付けて言葉を安くしないようにしたい。完全に舐めプでやってきた強者サイドに目をつぶって振り回した弱者の拳が偶然カウンターで入って腰が砕けただけ、というのはジャイキリだろうか。結果だけ見ればそうかも知れないが、天皇杯はある意味、それを生み出すための歪な存在で、言わば作為的な「ジャイキリ量産工場」なので、そこで産み出された量産型のアクシデントに接して、強者の惨めさに嘆息したり、蛇足に成り下がった大会から早期解放されたことを安堵ないし羨んだりすることはあっても、その舞台装置の安っぽさにどこか醒めてしまい、勝った弱者に感動を覚えることは滅多にない。なかった。

 

昨日のガンバ-法政大、西が丘で見てきました。ガンバに油断があったわけではなく、法政の前戦を踏まえちゃんと警戒していたし、本気で臨んできたと思う。それでも局面で圧倒して、循環不全に追い込んで、完封で勝ちきった法政は普通に強かった。その意味で、法政は弱者ではなく、ジャイアントキリングの定義からは外れるかも知れないが、久々に心が震えた。負けたガンバを惨めだと思うことは全くなく、ただ法政の雄姿に震えた。正しいジャイキリとは、強者サイドでも弱者サイドでもないいち観戦者の心を強く動かすものだろう。その意味で、昨日の試合はここ数年お目に掛からない本物の「ジャイキリ」だった。次の試合も大いに楽しみ。

 

しかし、偉大な選手に依存したチーム作りを行ったクラブの対処遅れはやばいね。以前、「あと3年は中核でやれる状態で次の選手を用意していかないと、彼の引退後落ちるところまで落ちる可能性が」と言ったけど、現実味が。昨日のピッチに、代わりになりそうな可能性をかけらでも見せた選手はいなかった。ポジションとか、若手引き抜かれた、とかそういう問題ではなく、ハートのあり場所の話。間に合うか。

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