アメリカ戦再点描。

代表戦から3日経過し、巷に溢れかえる意味不明の言説を見聞きし、もう少しあの試合の意味を名言化しておこうと思い、再度取り上げる。短絡的な風説に惑わされる前に(ああいった、報道を担う責任立場の輩が主観で適当なことを書き連ねる事象は「風説の流布」ではないのか? 例に照らせば犯罪者だろう?)自分の目で見た物を、自分の知識で咀嚼しない観戦者は、いつまで経っても進歩しない。あくまで主観の羅列に過ぎぬ為、どう感じようと自由だが、何か意見を賜る際はしっかり咀嚼した上で明瞭な言葉を持って伝えて欲しい、メディア戦略と感情論を振り切って(特にプレイヤー加地に関して。彼を讃える言説に説得力を感じたことが、残念ながら一度たりとて無い。もし、理知的勝つ明瞭な説得力を伴って、あの選手の良さを伝える自信のある御仁は是非自説を説き聞かせていただきたい)。

■相手がアメリカであること
繰り返し述べるが、アメリカは強い。サッカー大国である。4大メジャーに押されている、昔プロリーグが失敗した…そのような単細胞な分析で今のアメリカを語ることは愚かしい。アメリカはFIFAランクに相応しい強豪国だ。タレントに依存しない、地に脚のついた強さで、「国内組」という条件下での目減りが小さい。どんな強豪と当たっても、(真剣にプレーし続ける限り)2失点以上は喫さないリアリティ溢れる強さ。日本より明らかなる格上。負けは必然。

■アウェイであること
相手のホームと言うことも大きな条件。地理的、コンディション的なアドバンテージに加え、アメリカ特有のピッチ条件、スタンドとの距離感も大きなアドバンテージを相手に生み出す。現実的に見て、これに勝る「ホーム」はボリビアなどの究極的な自然コンディション以外にない。ほぼこの上ないアウェー。負けは必然。

■オフシーズンであること
2月上旬という時期。Jの開幕が3月である以上、今は一番コンディションが危うい時期。開幕へ向け、W杯へ向け、トレーニングを開始し、一旦上げ、反動が出て、回復→良化を経て開幕へ向かう。今はその反動期と言える。この時期の代表選ほど難しい試合はなく(カールスバーグ杯での過去のパフォーマンスからも歴然。とにかく日本人は身体的に緩んだ時期の下がり幅が大きいように思う。欧米人に比して)、負けは必然。

■久保のワントップ
上記、反動期にあって、久保は「本人の復調過程」というもう一つのマイナス材料を抱える選手。その久保をワントップに据えた以上、目的は「結果」ではなく「コンディション調整」いわばフィットネスにあることは明白。そのような試合に結果を求めるマスコミも愚かなら、結果に一喜一憂する観戦者も嘆かわしい。ジーコは明白に「コンディション調整のための捨て試合」「第3以降のオプションのテスト」とシグナルを出している。

■中盤の低劣
先にも触れたが、小笠原と小野の2シャドーは機能しようのない布陣。実戦を考えると愚か極まりないセレクトだが、日本の武器に他ならない中盤のテスト機会を増やすという意味では6人構成は理に叶っている。その上で言うが、福西・遠藤の2守備MFはパフォーマンスが低劣に過ぎ、ただでさえ不安定なDFの仕事の助けに全くならなかった。加えて両サイドハーフの、プロと呼ぶにはあまりにお粗末な守備面の働き。二人とも「守備のミスが計算できる」「攻撃の貢献は博打」な選手。もう今更、ジーコがこの二人に拘る理由は問いただしようもないし、恐らく本番まで代わりようもないが、この「致命的欠陥」を補うシステムが未だに構築されていない、周囲の選手の脳天気さにも呆れるばかり。結局、代表という枠組みで、自分の役割を果たすので精神面が限界なのだ。それ以上、何を期待しろと言うのか。

■守備の脆さ
宮本や中澤は、試合後、中盤の選手とカバーリングのことを中心に長いミーティングを行ったという。だが、根本的な問題から目を反らずべきではない。宮本は指導力に長けた選手だが、このポテンシャルとしてはJのDFでもベスト10に入れるのは難しいレベル。高さも、速さも、展開力もない。唯一の武器であった「落ち着きと知性」も最近崩壊している。その結果、周囲が宮本のコントロールを離れ、守備の崩壊の第一要素となっている。そして中澤。ハイボールには強い。が、毎試合、自分のマーカーに致命的な形で振り切られるケースを目にする。つまり空中を含めた前方180度の支配力は卓越しているが360度のバトルでは平凡な選手に過ぎない。田中はその二人より平均点で勝る物の、突出した武器がない。そして加えて中盤のカバーの乏しさ。これでは無失点試合など望むべくもない。むしろ川口の奮発(やはりアメリカの地には何かを感じるのだろうか)と相手の「流し」、後半の選手交代によるリズム変化で「3点で済んだ」と言うべきだろう。完敗だった。

■加地の存在
この選手を、自分がこんなに絶望的な評価なのに、ジーコ含める人間が高く評価し続けるのは、何か良さがあるのだろうと、必死に観察を続けた。が、残念なことに何も見いだせずにいる。もう無駄なので、これっきり彼に関しての観察「良かった探し」はやめにするし、バッシングもしない。が、最後に今一度だけ纏める。加地は本当に駄目な選手。何がダメって「バカ」なのだ。サッカーバカじゃなくて、バカサッカー(バカのスケールという意味ではトッティ並かも知れない。そこに応援者はスケールを感じているのかも知れない)。代表がこれで30数試合? 40くらい? それだけやっておきながら、ついぞ誰一人として加地という選手とシンクロできないで居る。それは加地がまるで空気を読まないから。天然だから。適当だから。無駄に上下動し、行くべき所では何もしない。例えば、長谷部がドリブルで中盤を突破したシーン。あそこで加地は最低限長谷部を追撃すべきだったし、欲を言えば半歩前へ行く意志を示すべきだった。あの状況でノーマークの長谷部が一拍ボールを止めた理由は右の上がりを待ったからに他ならず、その結果、待っても無駄だったわけだ。あのアシストにしてもそう。確かに形だけ見ればピンポイント。しかし加地のあげたクロスは、約束事のない「誰か合ったらいいな」というラフな物で、更に言えばDFに引っかからなかったのは「偶然」でしかない。それに、マイナス気味に合わせた巻の嗅覚とセンスが99%の勝因で、ああいう「無駄クロス」が形になることは50回に1回あればいい。DFの下手糞度合いは言うに及ばず。今Jのサイドバックでは恐らく最低クラスだろう。毎試合、致命的な守備のミスを10度はし、攻撃のリズムを20度は潰し、5試合に一度くらい偶発的に決定機を生み出す。今の日本はこんなレベルの選手に依存するよなチームだろうか? 否。このレベルの選手がいつか「1.5」の働きをする日のために、他のポジションへの「−0.5」を我慢する意義のある選手か? 否。例えばトッティはありとあらゆる面でのマイナスをチームに振りまく代わりに、決定的な仕事を毎試合のようにするから、存在が許される。王様で居られる。加地はトッティか? 否。加地は王様か? 否。ジーコは好きだ。その哲学も好きだ。だが、信用してはいけない選手(加地だけではなく、逆サイドもだ)を信用している、その一点に置いてのみ過去の代表監督で最低の評価を下さざるを得ない。願わくば、次期代表監督が理性的にこの点を処断してくれることを願うのみ。

■一応、良かった点も
テストとしての成果。久保はまだ暫く掛かること。2シャドーは適切な処理をしない限り機能しないこと。小野の復調度合い。阿部の素晴らしさ。FW層の拡充の目処。長谷部のポテンシャル。川口のリズムキープ。こんなところか。

まあ、恐らく何も見るべき物のない次のフィンランド戦で、どんな成果を上げるのか? 仮に楽勝したら手の平を返すのか? 期待せずも、刮目。

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