働く・耐える・要求する。

いろいろあり、30の人間が仕事をする/しない/選ぶということについて、考えた。
基本的に「生きるために」仕事はするもの。その中で、賃金を得るためにやりたくない作業に耐えたり、理想の環境でないことを耐えたり、自己評価に見合わない待遇に耐えたりするのは、当たり前のことで、日本人はこの「耐える=我慢する」という能力に、非常に長けている。あまり一般的日本人感性を持ち合わせていない非社会適合者の私はいつも、それに感心する。
だが、同時に、賃金を得るためとは言え、やりたくない作業をやらされることに納得をせず、改善要求をしたりすることも大事だ。むしろ、そっちの方がずっと大事だと私は思う。社会人になって十余年。一番不思議なのは、ほとんど全てと言っていい社会人が必要以上に「耐えて」いること、「耐えて」いるだけのこと。
要求をした結果、上司に怒られるんじゃないか。結果、生意気だと思われるんじゃないか。人間関係が悪化するんじゃないか。そういう心配はもっとも。しかし、そこでお互い仮面を被って「我慢」し合う人間関係を基盤にした企業が本当に健全だろうか? 本当に、個々の能力を合計しただけのポテンシャルを引き出せているのかどうか。とてもそうは思わない。そこから生まれる「出世してやる」というエネルギーは、負のエネルギーで、結果出世しても部下の声を聞く耳持たないダメ上司になるだけで、ダメスパイラルの担い手になるに過ぎない。
我慢する人間、要求しない(出来ない)人間は、それだけで自分の能力に制限を課している。その場はそれで事なかれで通り過ぎても、結果、ベストの仕事が出来ず、事あれかしと騒いだ時より余程周りに迷惑を掛ける事がある。というか、日本企業の人間関係はほとんどそうだ。そこが理解できないし、気持ち悪い。だから、幾つかのバイトは経験したが、その「日本的」な社会に馴染めず、今の仕事を選んだ。
私は、本来企業人は二種類の態度、どちらかに自分を「律する」義務があると考える。一つは、日本人的美意識を持ち、対立しそうな時には折れ、人に譲り、その代わりストレスを溜めず、本来自分のなし得る100の仕事をきっちりその「妥協した」ポジションで発揮すること。もう一つは、そこで意見を述べ、積極的に反対意見とは議論を交わし、その代わり自らの発言に責任を負って、言っただけの結果を残すこと。つまり「完全なる歯車」か「責任/牽引者」。その二つしかない。が、現実はあまりに「我慢はするけど納得せず、効率落として迷惑掛ける」人種が多すぎる。日本人はナチュラルボーンに中間管理職向きなのではないかと思う。外人上司に、日本人中間管理、外人部下。これがきっと、一番効率良い。
私が今現在従事しているのは、「モノを創作する」仕事(の纏め役)で、創作者のエゴを纏め、形にして、企業体としての利益を保つこと。これが実に難しい。衝突・議論に費やす時間は惜しいし、かと言ってそこで膿を出しきっておかないと、誰かしらの作業効率が落ち、納期やクオリティに影響を及ぼす。
最初に書いた通り、世の中の大多数の人は「やりたいわけでもない」仕事を、生活のためにこなしている(エライ!)。それに比べて、「やりたい仕事」で飯を食っている私や、私の周辺のスタッフ、または同業者はとても幸せだ。恵まれているし、ヌルいとも言える。夢見がちだ。だからこそ、「やりたいことをやる」ために他のもの(世間的な休暇など)は犠牲にしなくてはいけないし、そうまでしてやっている仕事で、「妥協」することはあまりに愚かしいこと。創作に関わる全ての人間にとって、妥協は罪だ。恥だ。
とは言いつつ、全員がエゴ、エゴ、エゴ…では絶対纏まらない。人のエゴのために自分を有る程度犠牲に出来て、かつストレスでパンクしないという適性を持つ人材は絶対一人は必要。自分は途中で「何かそっちの方が向いてそう」と思い、仕事への意識改善を行ってきているが、まあそれでもなかなか自分のエゴは殺しきれない。それはそうで、そんな簡単にエゴを殺せるなら、もっと簡単に儲かる他の仕事を選んでいるのである。もっと前に一般企業に就職していたし、そもそも大学中退なぞしていないはずなのである。それらは全てエゴに後押しされた「ドロップアウト」行為で、ドロップアウトしたからにはこの世界で戦っていくしかない。帰る場所はない。
30歳という年齢は、完全に人生の一つの分岐点(、と思う)で、自分はこれを22〜3頃から意識しては来た。今もって、自らの理想の30代像には遠く及ばないが。30歳という年齢は、柔軟性や、脳のレベルなど、確実に下降線を歩み出す。体力も落ちる。そうなった時の武器は「経験」に他ならない。同じものを会得するでも、20歳と30歳では効率が違う。それ以前に、30になって「スキルアップ」をしようと思い、邁進するのにはとてつもないエネルギーがいる。これは先天的にその「センス」が無い人間には絶対に出来ない。
20歳のパラメータは「HP200/MP10・スキル1個」。対して30歳は「HP150/MP40・スキル3個」。そういうイメージ。もしくはその1個のスキルが、レベルアップして、絶対唯一の武器になっているか。スキルは技術であったり、コミュニケーション能力であったり、人脈であったり。これらの武器があること、その武器を運用する「MP」があること。この条件が満たせていれば、体力で負ける20歳に100%勝てる。それが「経験」。
話は逸れたが。私の周りに、30過ぎて夢を追う無職者が居る。また、心折れ、「やりたい」仕事から一時的なドロップアウトを余儀なくされた者が居る。信頼を失い、「やりたい」仕事へ復帰できなくなっている者が居る。彼等に共通するのは「欲求」する能力の欠如。それを「実行」する意志の欠如。「コミュニケーション」能力の欠如。チャンスを「モノにする」鋭敏さの欠如。それぞれに、非常に高いポテンシャルを持っていながら、ある者は面倒がり、ある者は妥協を続け、ある者は虚勢を張るのみで充実を図らず、今がある。非常に惜しいと思うが、クリエイティブは「淘汰」の世界。彼等と同じ細い狭い道を渡りたい人間はごまんとおり、そのなかで一番意志の強い、エゴイストしかステージに上がれない、生き残れない世界(才能は関係ない。それは生き残った人間が何かをする時に必要なモノで、ステージに上がる/生き残るためには意志のみが必要となる)。そこで残った人間だけが「夢を追う」なんて甘い戯言を述べ続ける権利がある。上で挙げたそれぞれの立場の人間がここを読んでいるかどうかは知らない。が、彼等が30過ぎにして柔軟性を失わず、自分の欠点を厳しく律して、また競争の列に戻ってくれたら、嬉しく思う。
これから「好きな事を仕事にしたい」と思う10代・20代には、出来るだけ早いうちから、そのプレッシャーに自分が耐えうるかどうか、どれだけ自分の意志が強固か、どれだけ自分は人と違うモノを持っていて、それを相手に認めさせることが出来るか。そういうトレーニングを早いうちからして欲しい。自分は20歳で始めた。正直、ギリギリ間にあった感がある。学校社会にいるうちから始めていれば、もっと「勝ち組」になれたのにと思うことがある。早いに越したことはない。それは独学でやるもの。その為に学校へ行く暇が惜しいと感じたら、辞めてしまえばいい。15歳で耐えられないプレッシャーには30歳でも耐えられない。世間では「経験と成熟でプレッシャーの対応力が身に付く」などと言うが、それは「逸らす」能力の話で、真っ向から受け止め、跳ね返す能力は、年と共に伸びることは決してない。だから、若いうちから試して損はない。
自分の作品を発表して、見ず知らずの人間に叩かれる。ネットをやっていると、そういう経験は誰もがするだろう。でも。プロってのは大変だよ。見ず知らずの数千、数万という人間に叩かれて、それが何の罪にもならない世界だよ。なので、アマチュアのウチにバッシングを経験しておくことは大事。逆に、ちやほやされてプロになったヤツはもれなく潰れて、消える。これは我々の業界でも、スポーツ選手でも、同じだと思う。
もう一つ。「自分にはクリエイティブの才能はない」と思っても、いろんなスキルを試しておくことはとても重要。そうすると、クリエイティブの人達と仕事する際に、能力で負けても、その人を「使う」側に回るチャンスがある。これも一つの「勝利」。
…なんか赴くままに書いたら、最後は「クリエイティブで食べたい若者へ」みたくなってしまった。けど、センスある若い人材、とても必要としてます。下の突き上げが、業界の発展には不可欠です。現状、ほとんど無くて大変です。若い人、頑張って欲しいです。我々おっさん族も、頑張りますから。

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