久々。

 musicカテゴリなんて作っていたな、と思いだして。

重力と呼吸

重力と呼吸

 自分は曲がりなりにも人生の半分以上創作の仕事に携わってきた人間で、才能あるのにものつくりを辞めてしまった人や、過去に引きずられて新しい自分を確立できず潰れていった人を沢山身近でも見てきたので、「名作を生み出した人」より「名作を引きずったり振り切ったりして作り続ける人」に敬意を感じるんですよね。同じ場所に立っていても、前に進んでいても。場合によっては下がっているように見えても。なので、一番好きなミスチルは今のミスチル。多分、このアルバムから、自分的ミスチル歴代ベスト10とかやっても今の時点はまだ1曲も入りませんけど。2・3年後にはもっと好きになりそうな曲はある。

 音楽を含めた創作物は誰のためにあるか、ってのは一つの命題ですけど、本質は聞き手/買い手のため。経済活動である以上、それはマストです。では一方で誰のために作るのか、ってのは、たぶん、作ってる本人達のため、です。これは音楽だけじゃなく、ゲームでもアニメでも漫画でもそう。そこに流行廃り、商売的な成功失敗というファクターがあり、変節したり、したふりをしたりする必要が生じますが、本質的に自分のためのものつくりを辞めてしまった人は、作品をもう送り出すことも止めてしまう。だから自分は、どんな形でも新作を送り出し続けるクリエイターに敬意を表し続ける買い手でありたいと、常に願っています。勿論、そうしろと誰かに強制することはしませんが。100%ではなく1%でも、その人達のまだ見ぬ新作が自分の期待するその人達の姿と合致する可能性を期待して、信じるのであれば、好きだったアーティストのCDや好きだったメーカーのゲームを買うという行為は無駄にはならないと思いますね。そうしていないうちに終わってしまって後悔することはこれまでの人生で山ほどあるので。大人のアプリ無課金自慢だって無自覚でやってるならマジでやばい。そういう話じゃない。

 CDの話に戻すと、タイアップ曲はどれも完成度高くて悪くないですが7「day by day」が今のところ好きです。5「箱庭」は某氏が気に入るのが分かる歌詞。自分としてもトータルの印象はこのアルバムで一番強く、聞けばきくほど化けてくるかもしれない。7は歌詞がすごく好き。曲調は…うん。自分は日常のふとした一コマを膨らませたような曲が好きなんですよ。恋愛ソングもその中の一つではありますが、基本的にそのジャンルは10代20代のためにあるべきだと思うので、40オーバーの私には言うことはないし、もう完全に食傷気味です。今は人と人ではなく、人と植物とか動物とか、仕事とか、そうしたものへの愛情や執着を歌った歌が沁みるな。人と人なら家族や血を紡ぐ歌。あと、自分と向き合った系の曲。なので。10「皮膚呼吸」も好き。



Zombies are standing out

Zombies are standing out

 あとこっちはシングルだけど。昔と違って今は月に10曲くらいシングル買うのがメインで、アルバムは月1買うかどうかくらいなんだけど、ポルノとミスチルバンプはアルバムまでちゃんと買う数少ない人たち。ポルノの楽曲は相変わらず面白い。彼らも過去礼賛されがちですけど、自分は今が一番好きです。


 追記:アメトーークも見たのでその感想も。

 タイアップ曲に偏ってしまうのは仕方なく。これは当たり前の話だけど、タイアップされた曲はアーティストのファンだけのものではなく、そのタイアップ先の作品ファンの思いも背負ってるからね。ファン心理として、そうした部分を嫌ってマイナー礼賛になりがちだけど、やっぱりクオリティはタイアップされた曲の方が高いと感じます。アルバム曲はアーティストにとっても聞き手にとっても趣味のところだよね。そっちの方が好きなのと、メジャーを否定するのはまた別の話。自然と両方好き、ってのが一番健全だなあと。

 あともう一つ25周年って部分で思ったのは、やっぱり中高校生の時に聴いた音楽の影響ってのは大半の人にとって特別な、黄金時代のそれであって。楽曲は色あせないんだけど、歌詞や嗜好性という部分は大学生になり、社会人になり、30歳、40歳と経ていく過程で変わっていく。その変化速度は人によって違って、当時と(から)今を両立する人もいれば、変化した先だけを好む人もいれば、変化を拒む人もいる。よほどのことが無い限りとどまり続ける人はいないけど、異常に早い人も、相当にゆっくりな人もいる。その速度と、アーティストの速度が合致すればそれは幸せなことだけど、そんなことはめったになくて、その過程で起こる乖離は必然で、それはどちらかの裏切りではなく自然現象なのだ。だから、昔と今とで違う印象になったり温度になるのは当たり前で、昔好きだった歌詞がしっくりこなくなったり、その逆も当たり前で、そこにあらがったり第3者の感想やメディア発信の雑音に惑わされるのではなく、その乖離をじっくり楽しむことが出来るのが、音楽に限らず大人の娯楽との付き合い方なのだろうな、と。

 ライブにしてもそうで、自分はスタンディングを強制される系のライブはまず行かない。でもってライブ行かないからファンとしては、みたいなことも言われがちだけど、サッカーでも競馬でも、全試合見に行っていたり全レース馬券買う人の熱量は立派だけど、それが凄い、偉いという理屈ではなく、夜中にリプレイをお酒飲みながら見るような大人の楽しみ方にだって熱はある。そこの貴賤を、自分の物差しだけで測ったり、押しつけたりするのは無益なことです。

 まあ、そんなわけで好きな作品回のアメトークはあまり面白くないことが多いんだけど、今回は先に挙げた乖離の部分も含め「こういうファンの人たち」というのを遠巻きに見る感じで楽しかった。音楽テーマは基本このスタンスで楽しいな。長谷部に話聞いてて嬉しかった。あと、ライブで客に歌わせる系のパフォーマンスは個人的に苦手です。行かないと言いつつ、たまにはライブ誘われていくんだけど、そこは素人の合唱じゃなくて本人のをちゃんと訊きたいのよ。まあ、全ライブ参加してる人はあれで楽しいのかもしれないけど。せめて大サビ前だけとかにしてほしいよなー。同じ理由で、アレンジの癖が強すぎるライブverもあんまり。私は何百回何千回聴いたCDのそれを生で聴きたいんだよね。

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