メジロマックイーンに想う

こういう話を書く時いつも言い訳っぽく書き添えますが、私は血統の専門家ではありません。素人です。なので、書いてあることが「正しい血統論」ではなく「競馬キャリアで身につけた肌感覚」なので、それを分かった上でお読みください。血統論者は間違いを許さない、人を論破してナンボみたいなヒステリックな世界観が何となくありますが、私はもっと気軽に血統をもてあそんで良いと思ってます。競馬好きな人間なら誰でもその資格があると思ってます。知識が深くなければ喋ってはいけない、みたいな風潮があるから、血統そのものに対する理解が進まないのです。こんな面白い物、学者の独占玩具にするのは愚かなことです。

サラブレ中心に活動されている田端氏の「金満〜」がありますよね。私はアレは本当に素晴らしいと思います。血統をデフォルメして、分類して、それにケースを当てはめ、馬券の参考にする。または終わったレースを分類して分析して、次へ活かす。あの方達のやっていることは、データという一般には億劫なホースマンの専売ジャンルを娯楽に転換して、「馬券を当てる」ではなく「推理する」楽しさを提示した井崎さんと並んで、競馬の大功労者として称えるべきです。私も楽しく拝見してますし、時折参考にします(特に前走・前年のレース分析する際にイヤーファイルのコメントや単行本は欠かせません。最早バイブルです。その代わりリアルタイムの予想や新ネタは全然参考になりませんがw)

血統は言うならば株ですよね。株って専門家以外がやってはいけないみたいな所がありましたけど、ネット時代になってデイトレーダーが膨大に増え、株が大衆娯楽になりました。血統もそうなれば、日本の競馬レベルは相当底上げされると思うのですけど。

さて。大競争馬、稀代の名ステイヤーメジロマックイーンが死亡しました。私にとっては降着になった天皇賞秋、必勝態勢で望み(陣営の気勢がすさまじかったなあ)負けたJC、春天三連覇をライスに絶たれる、など「負け」のイメージが付いて回る馬です。最後まで、強いとは認めつつも、馬券的には信頼を置かずに終わりました。むしろ「頼りない」イメージです。

その根元にあるのは、東京競馬場で決定的な勝利をあげていない、ということがあるでしょう。別に私が府中近郊在住だからというわけではなく、日本の競争馬は東京で結果を残さない限り、私は認めません。東京競馬場こそが、日本の血の淘汰の最高ステージなのです。そこで降着という綾を付けたマックに対する私のイメージは「JCでは勝てなかった馬」なのです。

そのマック、残念ながら種馬としては失敗したと断言して間違いありません。社台の繁殖を得ながらG馬1頭という結果は、大惨敗と言えます。同じ環境で重賞馬を多数輩出しているトウカイテイオーと比べるとその差は歴然です。やはり、ステイヤー色・スタミナ色が強すぎたのでしょう。

結果として、メジロアサマから繋がる天皇賞馬の歴史もここで途絶えました。しかし、個人的にはそれは「健全なこと」だと思います。

そもそも「天皇賞の系譜」はメジロの先代を中心にしたロマン派の妄執とでも言うべき情熱が生み出した「近代の奇跡」であって、平成の代に於ける天皇賞春の価値の低さを思うと、商売として、そのロマンを追えと言うのはあまりにも過酷な話です。そもそもが、そのメジロからして血の限界を感じ取り、輸入牝馬によるリフレッシュを図っておりました。更にそもそもは、メジロの牝系も輸入種牡馬から始まっています。日本古来と言われる牝系も全てそうです。当然のことです。

競馬ファンは、やはりサイアーラインで競馬を見るという風潮がまだ強いようです。だからこそ「サンデー系」ということがこれほどに大きく扱われるのでしょう。

そのサンデーサイレンスも、牝系の観点で見ると既に第2ステップへ移行しています。今の競馬はサンデー牝馬に合う種馬を探す時代=合う種馬が次のリーディングサイアーを取る時代。当然その中にサンデー2世の種牡馬は入ってきません。既にサンデーサイレンスの牡駒は「淘汰」されだしているのです。

もう2代先になれば、父系のサンデーラインは2本も残っていれば上出来でしょう。そこで、海外に出ていってかの血に大きな影響を及ぼしたり、更に数台経て日本に戻りサンデーの深いクロスで当時を思い出させるようになればもう「大成功」です。一方で、母系のサンデーはその頃とんでもない勢力になっているでしょう。血統が袋小路に入らないよう、サンデー系に合いつつ、薄める種牡馬探しに躍起になっているものと思われます。今のノーザン系に対するそれのように、更に自然に「必ずそこにある物」という認識で血統が語られるかも知れません。

とにかく、サイアーラインというのは必ず消える物です。特にマックイーン−ティターン−アサマやテイオー−ルドルフから遡るパーソロンの血脈が良くここまで持ったと称えるべきでしょう。ローカルな血脈はローカルである限り、必ず輸入血脈によって淘汰されるもの。それが正しい流れ。それに逆らうことはイコール日本競馬の停滞・後退を意味します。

メジロマックイーンのファンやトウカイテイオーのファンは、どうか「子供の種牡馬が出なかった、悔しい、社台悪い」などと言わず、今後10年20年のサイクルにわたって楽しめる「母系に入った彼らがどんな影響を与えるだろう」というロマンを追って欲しいと思います。競馬は母系で見るものです。マック・テイオーより遙かに種馬として成功したシンザンマルゼンスキーも今はそういう存在です。だからこそ、競馬を長く続けていれば続けているほど母系にのみロマンを感じるようになります。それが必然だと、私は思います。

父系継続に於けるネックは、母系に回ると武器になります。マックの重さ、古さは必ず軽すぎるミスプロ系などの起爆剤として重宝されます。母系は土地、父系は建築物。母系はご飯、父系はおかず。父系の質によって、その家や弁当の評価が変わっても、それが「家である」「弁当である」という定義は母系によってされるのです。その堅牢さは父系の比ではありません。父系に出来ることは、母系を汚すことと、汚さないように努めること。極論すればそれだけです。

エイダイクインメジロサンドラらが今後如何に「マックの娘」として主張していくか、更にその娘がどんな種馬に付けられていくのか。そこを語りましょう。それこそが名馬マックイーンに対する弔いの点鐘になると思いますよ。

えー、この話題も余所で出たものですが、その場で賛成・反対を語るのは相応しくないと考え、自分トコに持ってきました。そちらから来てご覧いただいた方、どうか気を悪くされず。皆様の言っていることも大いに分かるのです。自分が競馬を始めた頃の名馬が種馬として成功しない寂しさは分かります。

でも日本と世界を比して「固有の血統を大事にしないから日本は〜」と恥じるのであれば、「リファールLyphardの最優秀後継であるダンシングブレーヴの血を買い占めてどうやって世界に戻す気なのか」とか、そういったことを恥じるべきです。サンデーの子をいつかアメリカの血統に戻せるのか。その時、そのサンデーの孫だか、ひ孫だかの血の中にパーソロンマルゼンスキーが入っていたら、最高じゃないですか!

海外で父系が比較的繋がるのは、アメリカだと裾野が広すぎて、もう自分の目の届く範囲しか健闘付かない故、ローカルで同系が生き残りやすいという事情、欧州だと種としての馬とのつき合いの歴史が深い上によりお大尽的な生産がなされ、自分の所の名馬=家紋のような役割を果たしている事情、それに対し日本の馬産は全然やり方が違います。あくまでも経済動物、そしてスポーツ。そこに過剰なロマンを求めるのは酷です。私たちがお金を出すわけではないのです。非難する権利はありません。そういう気持ちは抱きます、でも抱きつつ、先へ切り替えて競馬の流れを見ていくのがファンの務めでしょう。そうじゃないと「ライス死んだ、可哀想、もう競馬なんて嫌い!」というギャルと同列で語られてしまうかも知れないですよ。

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