さんまのまんま1000回記念

 やっと関東でも放送ありました。時差放送へご理解の深いtoroneiさんはじめ、内容を洩らさずにいてくれた関西圏の友人諸氏に感謝します。

▼関連過去エントリ
http://d.hatena.ne.jp/yambalu/20070324/p7
 さんまという人が今後芸能界で太く長く生きて行くには、やはり一回り以上下の芸人に流れを預ける度量(というか、手の抜き方・隙)を覚えるか、笑い・トーク以外のジャンルに片足重心を移さないと厳しいな、と感じた。

 たけしという人は「軍団」にしてもそうだし、映画のこともそうだが「お笑いに関してはとにかく人に場所を譲りたい」という意識が強いので、若手のポテンシャルを活かすよう一歩引けるし、それで存在感が消えることはないという自信に満ちている。だから気軽にアウェイに出ていける。自分を貶めるトークも嬉々としてするし、そこで後輩に「駄目なオヤジだな〜」というツッコミの隙と、親近感を与えている。

 対してさんまという人は、「生涯一現役」に強い拘りと(そのことを拘る自分への)陶酔があり、ごく一部の人間以外同じ土俵に立つことを許さないし、才能ある若手を見た時の興味(嫉妬)が半端ない。認めるのは、自分の土俵に上がって相撲の取れる若手=自分を立てつつアピールできる人間だけだし、基本的にホームでしか戦わない。そこで萎縮する芸人はずっと「自分を立てる道具」としか見ない風潮がある。テレビで見るさんまというのは、素人をいじって悦に浸るか、アイドルを泣かしてるか、と言うイメージが強いので、若手とすれば自然体で絡める相手ではない。そうやって日々、「ウイニングシチュエーション」を用意して回っている。格下に一切手を抜かないさんまは偉大だし、尊敬に値するが、それだけにいろんな面で限界に達しつつあるのは間違いない。さんまのチャンネルは「0」と「100」しかないので、どうしても若手を食い潰していくしか今後はやりようがないと思う。さんまは自分の失敗を指摘されると逆上する。だから後輩に愛情を持たれることはないし、親近感を感じようがない。

 勿論そのままでも「さんま」というトップブランドが揺らぐことはあり得ないが、今のままさんまが60になった時、新しい番組をやれているとは到底思えない。せいぜい、今やってる番組を形を変えて継続するくらいだろう。誰かがさんまという人間についていきたいと思えるとは考えられない。「俺は第一線で戦える」という自信がそのまま、さんまという人に「プラスアルファ」をもたらさない要素になるように思える。ずっと、素人と、何も考えてないアイドルと、売名に利用したい若手しか近寄ってこないだろう。紳助はダウンタウン松本に敗北を認めることで松本の一段上のステージに上がった。さんまと松本、たけしと紳助。こういうカテゴリ分けが出来る。いつまでも尖っていくのは大変だ。60のさんまと、50の松本が、何をしているかは楽しみだし、怖くもある。この2人は似すぎている(違いはさんまがテレビでやることを松本はラジオや本でやってるのと、松本には浜田が居ることだろう)。ある日突然辞めてしまいそうな2人だし、その方が(ずっと続けていくよりも)幸せなのではないだろうか。その前にこの2人の絡みを見てみたい気はするけど。多分さんまが敬遠し続けるだろうな。

 紳助や、たけしが40代のうちに身につけた「隙」を、松本は身につけることが出来るだろうか? 身につけずに50になってしまったさんまはどうなってしまうだろうか。2人とも「今」が素敵なだけに、お笑いファンとして、時間が過ぎていくのが怖い。さんまと松本。この2人が10年後にどちらもテレビに出ていることは…私には想像できない。

 そんなことを、前から考えていたのですが、この番組を居てより強く感じました。さんまが言ってた「M−1に出ても最低限ウケる」というのは、まさにさんまの悲劇が集約されている言葉だった。どこかから飛び道具がやってきて、さんまの寿命を延ばしてくれるのだろうか。タカトシのような飛び道具はやっぱり東京・大阪以外からしか出てこられない気がする。東京と大阪はもうダメだ。上の芸人の(物理的、もしくは社会的な)「死」でしか、席が空かないからね。衆議院参議院のようだ。

当ブログの一口馬主関連記事の一部はキャロットクラブさまより許可をいただき転載しております。記事の再引用、転載はご遠慮願います。