もう戻らない時間

別に某訴訟事件をみて思うところがあったわけじゃないけど、年末年始に録り溜めた番組消化している中にディープの追悼番組(再放送)があって。ああいう「人馬一体」のチーム戦ってのは、もうJRAには存在しないんだなと寂しくなったり。

 

勿論、大牧場主導になったとて、牧場の人達は努力して良い馬を作ってくださってるとは思うんですよ。でも、調整師に成り下がった人物にドラマの軸としての存在価値は求めがたいし、助手さんや厩務員さん、騎手も馬に対して出来ること(やって良いことと行けないこと)が最低限で、皆で苦労を一緒に背負って、乗り越えていく感じの一体感は正直感じづらいですよね。ちょっと問題あったら牧場へぽーいの時代に、ディープがダービー~菊の時期を挟んでたら、どうなっちゃったてたかな。少なくともあの感動は無かったんじゃないかな。

 

こういうのは感傷に過ぎないとは分かっているのですが。ディープ以降の超一流馬にはそこの部分でどうしてもどこかに「人ごと」というか人工物としての「冷たさ」を感じてしまうし、ジョッキーも勝ち取ったと言うより勝たせて貰っている感じを受けてしまう。いつまでもどこまでも2世らしい甘えに浸った人造トップジョッキーやら、外人騎手ズルイと妬むだけで明らかに諦めている中堅御の字騎手やら。私からすると、君たちは大牧場王朝時代+エージェントのお陰で随分高い下駄を履かせて貰って素晴らしく恵まれていると思うのだけどなあ。そんな人が3冠ジョッキーになっても、武豊やかつての名手と比較する気もしないよ(あ、いや、松山君は騎乗にがっつきがあるので結構好きなんだけど、その分危うさもな)。

 

ディープの後に名馬無し。武豊の後に名手無し。現代を生きる人馬には少し気の毒に感じつつも、以前ほどの感情移入はもう出来なさそうだなあと改めて実感しました。こういうのを吹き飛ばしてくれるのが、かつてのオグリのような馬なのだけど。それもなかなかなあー。とりあえず最近は門別→南関の流れの中で光る馬を探すのが、中央競馬以上に面白かったりします。中央じゃ、若手騎手かな。ナベヒロは別格として、生きの良い若手見て楽しまないと、なんかしんどいわ。

 

こんなこと考えてしまうのも、コロナで競馬場行けないせいなのかもしれない。早く馬充させてくれ。まあとにかく、調整師はせめてトラブルは起こさないで欲しいよね。奥底の人格ってのは顔に出る。調教師さん方ってのは苦労や実績が産んだ「厚み」でそれを隠していたけど、今の調整師はその辺が薄っぺらいよな。どっちがサークル離れても仕事できそうか、というと後者なのだけど、スペシャリストとして尊敬できるのは勿論前者で。プロフェッショナルの定義はリスペクトだと思うので、尊敬できるような調教師が一人でも多く残って、新しく出てくることを願いますわ。

当ブログの一口馬主関連記事の一部はキャロットクラブさまより許可をいただき転載しております。記事の再引用、転載はご遠慮願います。