熊本はじめ中九州地方、大変です。私も地元近いので、知り合い結構いるのですが、多くは連絡取れたものの、最近そんな密に連絡取っていなかった人の顔がこういう時に限って浮かんできたり。こんな時のためのSNS。普段は放置でも、繋がってだけおくことって大事ですね。東日本の時も、ツイッターに相当救われたものな。
で。必ず湧くのが不謹慎・自粛ムードと、それを煽る「正義の味方」連中。
辛いときにちょっとした楽しさや笑いを生活の足しにして欲しい、と日々頑張ってる娯楽産業関係者にとって、こういうムードの影響はホントに痛手です。「そんな余裕ない」「そんなことしてる場合じゃない」状態からこそ、気晴らしになる「そんなこと」の出番なんです。その「そんなこと」に日常を支えられて、進む力を貰うんです、人間ってのは。毎週出る漫画がちゃんと読める、楽しみなTV番組がちゃんとやってる、普段通りゲームやって、スポーツやれる。そうしたことがどれだけ大事なことか。
ましてや、当人達が「今はお金払えないから/見る時間ないからいいです」っていうのはともかく、部外者がそれを「そんなことしてる場合じゃない」と周囲に強要する…何と想像力に欠ける行為か。こういう人の、想像力の欠如というのは、とんでもない暴力です。文化的に生きる人間という生物にとって、危機的な欠如です。その大事なものが欠けた人間が、正義の御旗の下まき散らす同調圧力、本当に怖いです。人から喜怒哀楽を奪うって最低の行為を、何故そんな顔で出来るのか。本当に、不快感を通り越して恐怖を感じます。辛いときに、そうした娯楽に頼るか、頼らないかは、本人の判断であり、自由。その自由を奪う権利が誰にあるのだろう。
作り手側、娯楽の届け手だって、本当に葛藤してます。不謹慎だと言われるだろう、叩かれるだろう、赤字になるだろう、そうしたことを分かった上で、それでも辛い状況にある人が、少しでも笑ってくれるように、楽しんでくれるように、踏ん張ってるんです。日常を取り戻すための支えになりたい、取り戻したとき、また楽しんで貰えるように、と歯を食いしばって送り出し続けているんです。その頑張りを「不謹慎」なんて斜め上から目線で片付けて、悦に浸らないで欲しい。「不謹慎」なものを叩いて、潰して、平板になった世界で、本当に自分が楽しく生きていけるのか、考えて欲しい。自分が嫌いな娯楽だけ潰れて、自分に必要な、好きな娯楽が影響受けずに生き残るなんてことはあり得ないと少しは想像して欲しい。
ドラマやバラエティやスポーツが予定通り開催されて、ゲームやアニメやギャンブルもちゃんと日常にあって、いつでもそこへ帰ってこられるように待っている。私は、それも本当に大事な「支援」だと思います。義援金や物資などの直接的な支援も勿論大事ですが、戻る日常を無くしてしまわないための支援も同じくらい大事。これは両輪であって、一方が褒められ、一方が叩かれるのは健全ではありません。今日も、娯楽が日常にある世界で生きて行けていることを感謝しつつ、熊本や大分の友人達にも出来ることは個人的にしていこうと思います。そして、そこを理解しない人が周りにいたら、その人が自分にとってまだ大事な人であったら、そうじゃないんだよ、と訴えていきたいと思います。早く、余震が落ち着きますように。